2004-05-17

むかしばなし   NO 794

 「美人薄命」という言葉があるが、この「薄命」を我々の職業的に比喩する表現として、よく使われるものがある。

 「春の淡雪」「夏の蛍火」「命の歌を歌うセミ時雨」なんて言葉がそれだが、今、アメリカの東部で戦々恐々としている問題に「セミ」がある。

 17年毎に繰り返される不思議な現象だそうだが、数千億から数兆匹と予想されるセミの羽化が始まっていると報じられていた。

 土の中で長い幼虫期間を過ごし、地上に出てたった2週間の命を燃やすセミだが、それだけの数のコーラスとなれば人間の生活を脅かす影響もあるだろうと推察する。

 のどかな田舎で約3年間、幼い頃を過ごした私。セミやカブト虫の羽化も体験したし、井戸掘りの手伝いや川で泳いだ経験もあるが、都会で生まれ育った子供たちに田舎の体験は貴重だと思っている。

 都会の子供たちは気の毒。幼い次代に自然と接する機会は人生にあって大切なことような気がする。

買ってきたハムスターを落としてしまい、動かなくなった状態を見て「電池が切れた」という子供がいたのを聞いたことがあるし、市内を流れる運河しか知らない子供が、初めてきれいな水の流れる川を見て、「水道の水が流れる川だ」と言った事実を笑えないように
も思う。

 さて、今日は、私が田舎で過ごした時代に体験した「むかしばなし」をいくつか。

 家から見える田んぼを隔てて山が見えたが、この山、夕方に雨が降ると不思議な光景が見られたことを覚えている。

 山の中腹に明かりの着いた提灯行列が見える。「あれは、何?」と訊ねたら、「狐の嫁入り」ということを教えられた記憶がある。

 また、村に一軒だけある店に行く買い物の使い。途中にお墓とお稲荷さんがあり怖かった。

 いつもそこだけ走って通り過ぎたのだが、家に帰ったら「油揚げ」だけが消えていたのも不思議な出来事。

 そのお墓、当然土葬だったが「火の玉」みたいなものを何度か見たような記憶もある。

 私は、誰よりも臆病かも知れないが、そんな性格に影響を及ぼしたのは田舎暮らしの体験もあったよう。しかし、一生に一回限りの葬儀という仕事に従事し、臆病と「あの世」の存在に対する恐怖感は役立っていると信じている。

 この仕事に携わってしばらくした頃、不思議な体験をしたこともある。

 暗くなり出した頃、自転車で走っていて不思議なものが目に入った。突き当りの家の屋根に何かが見える。それは、間違いなく「火の玉」

 それから1時間後に入った葬儀依頼の電話、それは、そのお家からだった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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