2013-03-08

ゆりかごから墓場まで?  NO 3214


 ふと手にした雑誌「PHP」3月号を読んでいると、「ねむの木学園」を開設された当時の「宮城まりこ」さんのご苦労話が掲載されていた。その設立の原点が「怒り」にあった
経緯を知ったが、「松下幸之助」氏がバックアップされることになった出来事もあり、「人に歴史あり」「人生にドラマあり」という言葉を思い出した。

 私にとって「宮城まりこ」さんの歌に関して忘れられない出来事があるので書いておこう。ある大きな会社のトップの方の社葬本葬儀を担当させていただいた際、故人が彼女のヒット曲がお気に入りで、いつもご自宅のお風呂に入られると口遊んでいたことを知った。

 その曲は1955年に発表されて大ヒットした「ガード下の靴みがき」だったのだが、進行の中で献奏曲として挿入することを考え、天才的な編曲家であった友人の女性に依頼の電話を入れた。

 彼女は楽譜さえあればどんな曲でも瞬時にレクイエムとして編曲して演奏する特別な才能があり、過去に北海道から九州まで一緒に仕事をしてきた歴史もあった。

  次の日、彼女から電話があった。どこを探しても楽譜が入手出来ないということで、困ったことだと話し合っていたら、その曲の旋律を知っていますか?と問わ れ、幸いにして幼い頃のヒット曲だったので憶えていると返すと、電話口で口遊んでくださいと言われて戸惑いながら、何とかしなくてはの思いに駆られ、信じ られない光景だろうがメロディーを口遊んだ。

 それに驚いたのは、その時に事務所にいた7人ぐらいのスタッフ達だが、もっと驚いたのはたったそれだけで「採譜出来ましたから」と返された彼女の言葉だった。

 やがて本番当日。500基ぐらいのご供花が並んだホテルの式場、開式1時間前ぐらい
会 社の役員さん達とご一緒に喪主を務められる奥様が来られ、その曲をどのように演奏して活用するのかを問われてご説明。音色まで決めていたシンセサイザーで 演奏して貰ったら、ご遺影を見つめられた瞬間に涙を流され、しばらくすると私に「有り難う」との言葉を掛けてくださった出来事だった。

  さて、昨日の誕生日、昨秋にお世話になった北海道の人物からのメールもあった。その中に関東に在住する塾生の女性が、苫小牧と函館で公演する日程が書かれ てあった。「アルプスの少女」の舞台でハイジの役を担当していたこともあるが、現役で活動している事実を知って嬉しくなった。そんな彼女のブログを久し振 りに開いたら、私との出会いのご仏縁についてしたためていた。

 また、九州在住の塾生のブログにも出合った「ご仏縁」の不思議について書かれてあった。私ももう少し「この世」に生かされるようなので、彼女達にも一度は再会しなくてはと考えている。

 本館で行われていた友人のお兄さんのご葬儀に参列。女性司会者が担当したナレーションの中で故人が学校で講演された際の録音テープが流され、ご生前の一こまを知ることになった。僭越だったが、「お別れの言葉」を捧げさせていただいた。

 今月中旬が予定日という初孫さんのご誕生には間に合わなかったが、故人も奥様も目がご不自由だったことから、是非とも初孫さんを抱いて欲しかったと残念至極だが、間違いなく命の伝達として元気な初孫さんが誕生されると確信している。

  ずっとお通夜や葬儀が重なっているが、我が大阪も火葬場の受け入れ可能な物理的問題が浮上している。前にも書いたがエリアである「瓜破斎場」がいっぱいで 「北斎場」「佃斎場」「小林斎場」「鶴見斎場」から市外の「小阪斎場」や「楠根斎場」、また山を越えての飯盛山斎場」にまで行くことがあるが、「ゆりかこ から墓場まで」の言葉に象徴される社会の環境サービス、橋下市長、こんなところに大事な行政の仕事が残されていると書いておこう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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