2006-12-12

遠来の訪問者  NO 1714


 リンクのページにある九州の株式会社落合葬儀社、若い後継者が綴る「もっこすかわらばん」が先月末に1000号を迎え、名古屋の塾生のブログ「葬儀司会者 つれづれなるままに」も500号を越えた。

 また、弊社の近くにあるお寿司屋さん富士好の若旦那が発信されるコラム「食から滅びる日本人」も来月に1000号を迎えるし、「出たとこ勝@負ログ」さんも700号をはるかに越える号数となっている。

他 にも号数を表記していない数名のブログが数百号に到達する通過点を迎える。500号、1000号と言葉では簡単だが、発信する方は大変。始めた以上途中で 止めるわけにもいかず、私のようにだらだらと駄文を列記しながら惰性の日々を綴ってきたケースもあるが、上述の人達は真剣にそれぞれの思いを綴られてお り、号数の多さだけが先行する私にとって何か恥ずかしい思いを抱くこの頃だ。

 塾生である九州の女性司会者が発信するブログ 「MAMADIARY」の昨号に、2年前に私が迎えた1000号記念セミナーのことが書かれていた。当時からブログに挑戦されていた彼女、その1000号 にご自分の200号を合わせようと挑戦され、日に3本、4本とコラムを書かれて見事に達成された行動が塾生の話の種として記憶されている。

「思いを新たに始めます」と言って、また「ゼロ」に戻して第1号から再開されたメンバーもいるが、日課で訪問するブログは同業の立場にあって非常に勉強になり、スタッフ達も訪れているようで有り難いことである。

  弊社の社名に「高級」の文字が。奇異であることは承知で命名したもの。お陰で社名に恥ずかしくないようにと追求研鑽した結果、様々なオリジナルサービスが 誕生したが、その背景で葬祭業がプロの仕事である誇りと思いを共有するメンバー達とも出会ったし、前述の塾生達との交流も始まった。

 彼らは弊社との交流によって「高級」の意味を知った。それが価格ではなく葬送という仕事に対する天職や使命という「熱い思い」であることを。

  我々の仕事は、社会的に地位の低い仕事と認識されている。その要因のひとつに葬儀のプロとしての文化が形成されていないことがあるだろう。極端な例で恐縮 だが、実際にあったことなのでオープン化するが、「焼くだけでいい」「骨にするだけでいい」という言葉で電話をしてくる人達も存在するのだ。

<我々 は処理業者ではない!>と返してお断りしたいことが何度もあったが、断れば何処かの業者が受けることになり、そんなとんでもない考え方が世間に罷り通るこ とになってしまう。それならば「正道」を教えてあげるのも<プロの仕事では!?>なんて思い出したのも「高級」の意識。

「人の葬儀はペットと異なるのですよ」と説教をする葬儀社なんて考えられないだろうが、故人の立場で熱くなって闘ってしまう悪い性格。そんな歴史がいっぱいあるのを思い出す今日の日だった。

  メンバーや塾生の掲示板の中で、身寄りのない人を送る葬儀のことが何度か書かれていた。誰一人送る人なく病院や老人ホームの代表者が届出人になって葬送が 行われる。せめて焼香だけでもと葬儀社のスタッフ達が手を合わす。あまりにも気の毒だからと花を供えるやさしいスタッフ達。それが弊社が加盟する日本トー タライフ協会のメンバー達。そこに「悲しみのプロ」としての資質が行動実践されているとも言えるだろう。

 九州から若い女性が来社してき てくれた。彼女の優しさも半端じゃなかった。大学卒業と同時に弊社で研修社員として過ごした葬儀社の娘さんだが、耐えられずに帰ることも考え、初めの2ヶ 月間は私の自宅の3階に住み込み。素朴な性格にプロの技術を与えながら、ご両親の教育の素晴らしさを感じた出来事も多かった。

「懐かしい ですね」と足元にやって来た猫を撫でている。時が数年流れ猫もびっくりするほど年を取り、彼女が2ヶ月目から生活していたマンションも建て替えられてし まっている。自宅を出てホテルに向かう前、いつも通っていた真向かいの銭湯の女将さんに会いに行ってきたそうで、また「懐かしい」と嬉しそうな表情を見せ た。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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