2007-06-05

世の中様々  NO 1881


 無宗教形式による告別献花式、4名の方々のお別れの言葉が素晴らしく、「いいお別れが出来たね」とのお言葉が多かった。

 命の伝達を受けられたお孫さん達も式次第の中で重要なお手伝い、「お爺ちゃん、命を有難う」と故人に伝えられたような気がした。

 参列者とは意外に細かいことに気付かれるもの。「さすがに高級葬儀ね」と仰ってくださった女性のご感想は「献花」のラッピング、「どこでも菊やカーネーションをそのまま渡されるのよ」と鋭いご指摘であった。

 確かに手間は掛かるが然程経費を要する問題ではない。そんな配慮が我々プロの仕事ということになるだろうが、一流ホテルの大規模な「お別れの会」でも裸の「花一輪」という現実に寂しい思いを抱いている。

 やはり声の調子がおかしい。そこでナレーションは女性スタッフに任せたが、文章の中に若い女性達には「読み方」不明な文字が多く、開式前のチェックを念入りにしていた。

 丁度1時間でご出棺となり、女性スタッフ3名を伴い、火葬場の炉の前での献花を行った。

 会葬者の中に私の知人の女性がおり、「こんな形式のお葬式っていいね。私もこれにするからお願いね」と言ったので「私の方が先に逝きそうですよ」と返しておいた。

  さて、無量寿経の教えの中に「人は世間愛欲の中に在りて、独り生じ、独り死し、独り去り、独り来る」という言葉がある。格言としての解説によると「独生独 死独去独来」となるが、この世に生を享けた自身が、この世で行うがままに喜怒哀楽を得て、自身が報いを受けることは誰にも代わりが出来ないというようなも のであり、私の場合、そんな人生の晩節に生きた証しとして「独り」の「駄文」を綴っているということになるだろう。

 随分昔だが、ある仏 教書を読んでいた中で「無明」という言葉が目に留まったことがあった。それは瞬時に「よいこと」と思ったのだが、先に進んで行くと予想もしなかったことが 書かれ、「人間の心の中には『無明』という濁りが存在し、これが執着の心をつくり、苦しみを生む」と教えられており、それはお釈迦様の説かれたお言葉が古 歌として語り継がれているものであった。

 この「濁り」を除去し、我執を取り除いて「安心(あんじん)」を得る「行」として説かれているのが「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」という六波羅蜜である。

 社会の中で宗教観が稀薄しつつあるのは今や常識となっているが、数日前、宗教も儒教も何もかも超越した考え方で衝撃を受けた友人がいたので触れておく。

 正確には私の友人の奥さんが体験した事実だが、知人のご主人が亡くなられたそうで、嫁いでいる二人の娘さん達と共に葬儀の打ち合わせている時の出来事、娘さんが次のように言われたというのである。

「お母さん、お父さんとお母さんは血縁でつながっていないの。私とお父さんは血縁があるの。だからお父さんの葬儀は私の思う通りにさせて貰いますから」

  そして、その葬儀が行われたそうだが、それは、お柩に生花が一対だけという形式、近所の方々にも「家族だけで行います」と伝え、最も悲しみの強かったお母 さんの思いを一切無視した葬儀になり、あまりにも気の毒な奥さんに同情が集まり、改めて「お別れの会」か「偲ぶ会」をしようかという話題が出てきている。
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