2016-11-20

寛解という言葉  NO 5035

病室から撮影した夜景昨日「会長のブログ」を更新。テーマは頻繁している高齢者の事故について書いた。

昨日の朝からいつもお世話になっている医院へ2週間分の薬を貰いに行った。血圧測定と胸部と背中に聴診器を当て肺や心臓の音を診察。問題ないということで安堵したが、「少しぐらい天ぷらを食べてもよろしいか?」と質問すると、「良い油を使用している高級店で少しならOKだが、一般的な天ぷら屋さんの物は避けて」と指導された。

2013年8月と11月、2014年10月だったと記憶しているが「膵炎」で入院した体験がある。あまり飲酒をしない生活だったのだが、野菜の天ぷらと串カツを食べることが続いていたことが悪かったみたいで、それぞれ6日間、11日間、4日間の絶食を強いられる入院生活だったので気を付けている。

この「独り言」をご笑覧くださる方々のために「膵炎」の体験談について紹介しておこう。

2013年の5月末から外国旅行に行った。病的な偏食があるところから前以てネット情報で調べておいたホテルに近い日本料理店に毎日通い、昼食と夕食で天ぷらを食べて生ビールの中ジョッキを1杯だけ飲んだ。

5日間の滞在だったが、どうやら食べ過ぎていたみたいで人生最高の体重を記録していた。
それから全国各地から友人達が次々に来阪。好物の野菜の天ぷらと串カツを食べていたら7月の末頃に就寝中に左の肩甲骨周辺に激痛を感じ、それは救急車を依頼しようかと思ったほど強烈なものだった。

朝まで我慢していると何とか治まってホッとしたが、その数日後に寝返りすることの出来ないような腰痛が3日間続いた。過去に「ギックリ腰」を何度か体験していたが、また異なる感じの激痛で、併せて腹部に鈍痛を感じ始めていた。

8月1日、その日は地域の盆踊りがあったが、地域の重職にある人物のお通夜と重なっており、お通夜が午後8時から進められることになっていた。故人とは医院で何度も会ったこともあるし、ある人物の葬儀で「お別れの言葉」を捧げた際、「私の時もやって欲しいと」と約束していたが、お通夜に行く前に医院へ行って診察を受けたら「紹介状を書くから赤十字病院の救急外来へ」と指示された。

そのまま病院へ行き、診察と検査を受けたら「膵炎です。このまま入院です」ということになってしまった。採血検査の結果「アミラーゼ」「リパーゼ」の数値が異常な数値を記録していた。

9日間の入院で退院したが、担当医からいただいた「退院証明書」の中に「寛解」という文字があり、帰宅して辞書で調べても見つからず、ネットで調べたら医学用語で「完治したとも言えないし、悪いとも言えないような状態」という意味を知ったが、この病気がそんなに恐ろしいとは思っておらず、医師から指導されたアルコール厳禁、油物厳禁という生活を過ごしていた。

11月に講演を兼ねた北海道旅行に行き、帰路は函館から青森に入り、八戸、気仙沼、東京を経由して帰阪したが、旅館の夕食時に出た食前酒を飲んだのが悪かったみたいで、前回と同じような兆候を感じることになった。

その日は土曜日で医院が休み。前回に貰っていた鎮痛剤を服用して月曜日の朝に医院で採血。結果が出た夕方にはまた紹介状で病院へ行くことになった。

前回に入院した赤十字病院は満床らしく、天王寺駅近くの大阪鉄道病院に入院したが、担当の先生がCT検査の結果を分析してかなり悪化している事実を教えられ、絶食する中で微熱が出て来て本当に辛かったことを憶えている。

1週間の入院で赤十字病院に転院することになったが、両病院で合計11日間も絶食していたので大変だった。

ずっと安静で点滴が続く。足腰が弱るからと点滴のポールを引っ張って廊下を歩こうと病室を出たら、「絶対安静です。部屋から出てはいけません」と看護師さんに叱られた。

3回目はその次の年の秋だった。ある会食で皆が美味しそうにビールを飲んでいたのでノン・アルコールのビールを飲んで付き合ったら、帰宅する途中で薬を服用することを忘れていたことに気付いた。自宅に着いた時にははっきりと症状を感じてすぐに医院へ直行したら、また紹介状で赤十字病院へ行くことになり入院。

主治医の先生から「また来られましたね」と笑われたが、ノンアルコールのビールは運転に問題はなくともこの病気には影響があると教えられてびっくりだった。早く入院したので6日間で退院出来たが、それからアルコールは一切飲んでいない。

今日の写真は大阪赤十字病院の病室から撮影した夜景を。
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