2015-12-02

師走を迎えて  NO 4392

我が家の悪猫今日「水曜日」はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。過日に小学2年生の児童がややこしい祈祷師にインスリン投与を止められて死に至る悲しい事件が報道されていたが、そんな被害に遭わないように願って前に書いたペテン師の逸話を再掲しておいた。

「幸せ列車」の各駅停車で10年前の同日の「独り言」が掲載されているが、数日前の号を読みながら懐かしく思い出したことがあった。もうすぐ初孫の誕生日で、10年前はアメリカに在住しており、好物の「どら焼き」を航空便で送っていた。

そんなことから今日は天王寺駅から歩いて四天王寺へ。南門の近くにある有名な「茜丸」に立ち寄って「どら焼き」を宅配で送って貰うように依頼した。

現在は関東に在住しているので宅配料も安いが、アメリカの時は商品より運賃の方が高かったことが思い出される。アメリカから帰国したのは次の年の春だったが、帰国前に私は大きな手術を受けて入院中で、病室での再会となったので忘れられない。

「幸せ列車」が復活されたので「女将シリーズ」を更新しておいた。フロントへお客さんが「胃もたれ」の市販薬がないかとやって来たのだが、スタッフが従業員用の薬箱から持ち出して来たら、女将が意外な言葉で「それは出来ない」と制止した。そこにはびっくりする問題が秘められていたというストーリーである。ご興味があれば左枠の列車のリンクボタンからどうぞ。

さて、喫茶店の常連さんが広島から来阪されていた友人を伴われていた。紹介されて話すことになったが、随分昔に大阪と広島を結ぶグリーンフェリーのことが話題になり、続いて私が宇品から別府へ行く「由布丸」を利用したことがあると言うとびっくりするほど懐かしがられた。

広島と別府を結ぶフェリーはなくなってしまったが、就航していた当時は広島湾内や別府沖をクルージングする観光コースもあった。

私がそれを利用したのは想定していなかったことで、岡山に立ち寄り九州へ向かう予定で山陽道を走行していたのだが、夕方に岡山を出ていたこともあり疲れから睡魔に襲われる危険性を考え、小倉のホテルを予約していたが居眠り運転でもしたら最悪と考え、ふと思い浮かんだのがこの航路。確か午後10時頃の出航だったと思って行ってみようと宇品港へ向かった。

2000トンクラスのフェリーだったが乗船が可能となって別府港へ向かった。別府へは未明に到着するが、船内で1時間以上過ごしていてもよいというシステムでも、到着後すぐに下船してやまなみハイウェイを走行して菊池方面へ向かった。

それから数年後、この逆の航路で利用したこともあった。宮崎市内から別府市内まで走行して来たのだが、国道10号線とは本当に時間を要する道路で、どうして高速道路がないのかと思う程で、別府に昼頃に着いた時に思い出したのがこの航路。午後2時頃に出航して宇品に午後8時頃の到着だったと記憶している。

この船内で横になって休んでいれば広島から大阪までの運転も眠気を心配することはなく、日付が変わる頃に帰阪することが出来た。

「あちこちへ出掛けていたんだなあ」と言われたが、振り返れば日本全国へ出掛けた歴史がある。大病を患って運転免許証も返納したし、北海道を車で走るという夢は叶わなくなったが、JRのジパング倶楽部に入会して専らJRを利用している。

前にも書いたが移動するのに時間を要してもいいから速度ダウンをして安全第一を願ってしまう。東北新幹線が時速320キロ運転をしているし、山陽新幹線も300キロ運転をしている。こんなに高速運転をする必要があるのだろうかと疑問と恐怖感を覚えている。

それは現役でない高齢者の考え方で、全国を飛び回るビジネスマン達は「もっと速く」と思っているのかもしれないが、旅客輸送の交通機関の優先は安全第一と言うことは不変である。

今日の写真は昨日に続いて我が家の悪猫を。
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