2006-11-05

紅葉の季節に  NO 1679


  朝から出掛けてあちこちに移動、そうしている内に古い方の携帯電話が行方不明。その日のそれまでの行動を思い浮かべながら探索するが見つからない。記憶力 低下を嘆きながら腰を落ち着けて考えてみたら、途中で自宅に立ち寄ったことを思い出した。そこで私の机のある部屋を徹底的に調べたら、椅子の裏側に落ちて いるのを発見してホッとした。

 さて、妻が私の友人のお母さんと近所で会ったそう。お母さんのご伴侶は若い年齢でこの世を去られ、その時に病院にお迎えに行ったのは私だった。

 友人が大病を患い大手術、やっと仕事に復帰できたところだという。「実は」と、妻も私が手術を受けたことを話したが、互いが心配掛けたくないことから秘密にしていた事情があった。

 ここにも不思議なつながりが。彼のお父さん、そして我々二人が入院していたのは同じ病院。近々に元気付けに行ってやろうと思っている。

 お母さんが番頭さんと一緒にお店を切り盛りされ、やがて彼も自分の道を変更して後継したが、そんな苦労が実った矢先の出来事だった。

  彼を通じて知り合った友人の存在もあった。二人で招待された結婚披露宴、そこで友人代表の彼のスピーチが無茶苦茶、人格をひどくこき下ろして席に戻ってき た。「どうして?」と確認したら、「悪く言って後から褒めようと思っていたけど、上がってしまって前半だけとなってしまった。ひどかったか?」だった。

  そのスピーチは、30年以上にも亘って酒の肴になっていたが、被害者となった友人も数年前にこの世を去ってしまった。「俺、ガンなのよ。絶対に負けないよ うに戦うから」と電話があり、それから1ヶ月もしない内にガンに敗れてしまった。それだけ進行の早い病気だと奥さんから聞いたが、葬儀の時、涙で司会に差 し支えがあって困った思い出もある。

 死という現実よりも甦ってくる数々の思い出が悲しくなる。誰もが知る「人は二度死を迎える」という格言があるが、一人の人物の死から、その人を知る最後の一人がこの世を去るまでにはかなりの時間が残されている。それが心の中に生きているという意味なのだろう。

  11月に入ってからも穏やかな気温、<どうなっているの?>と不可思議なほどだが、山の紅葉を目にすると冬の季節が間近に迫っているのは確かである。そん な中、いよいよ事前相談が増えてきたが、あらかじめご通知をされる方々をリストアップされているケースが目立ち、会葬者激減という背景に招待形式流行の兆 しを感じている。

 無駄を省きたいというお考えは当たり前だが、その中に義理的参列者に対する抵抗感を仰る方も増えている。

葬儀にあって個性化と多様化が全面的に表面化してきたのは2000年頃だが、そこから急変してきた社会ニーズのスピードは想像以上。それらを予測していた日本トータライフ協会のメンバー達。

今、彼らは、それぞれがあたためてきたオリジナルサービスを共有して提供し、お客様から高い評価を頂戴すると共に、社会歓迎と賛同のバックアップに支えられる喜びを感じている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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