2006-10-16

忘れられない友人  NO 1659


「可 憐」という文字にコスモスの花が思い浮かぶ。秋の風物詩コスモスといえば宮崎県の生駒高原が有名。初めて満開のシーズンに訪れた時には感激、トヨタからセ リカという車が新発売されて間もなくのこと。まだビニールシートに包まれた新品レンタカーの周りを囲むコスモスの花が揺れていた。

 今、弊社に日本を代表するフラワー会社に永年在籍していた女性スタッフがいる。何度か彼女が創作した作品を目にしたが、やはり一流の「花のプロ」の間性を感じる。そんな彼女が女性の葬儀の祭壇で、コスモスや薄の季節をどのように活かせるか関心を寄せている。

 葬祭サービスに女性スタッフの起用、重用は不可欠、男性にない自然なホスピタリティ性を活用するべきと提言したのは随分昔だが、全国的にその傾向が強まってきている。

  所属する協会のメンバー各社も積極的に取り組み、各社に「人<財>」となった素晴らしい女性スタッフの存在に至ったことは喜ばしいこと。互いの交流からス テップアップすることも大歓迎だが、そんな便利なツールとしてメールが活用されているのだから時代は確実に変化している。

 しかし、どんなに社会が進化して便利になろうとも不変のものがある。それは葬儀に生まれる「悲しみ」であり、その悲しみこそ故人に対する最も大切な礼節の基本だと知りたい。

 そんな場で義理的弔問者達が世間話やゴルフ談議をされている光景に寂しい想い。ふと故人の遺影や遺族のおられる場所を見つめてしまう。

 さて、若くして亡くなってしまった友人が夢の中に登場してきた。30数年前、20代後半で病に侵され不幸な最期を迎えたが、彼の最も華やかな青春時代に私が絡んでいた。

 知り合ったのは私が学生時代、3歳年上の彼との出会いはスポーツ。中学を卒業して九州から集団就職で大阪の町工場へ。油にまみれてプレスの仕事に従事していたが、工場の近くにあった卓球場で交流が深まった。

 何を食べても中らないというのが自慢で健康そのものだったのに、久し振りに商店街で会ったら本人とは分からないほど痩せており、体重が半減していて衝撃を受けた。

 病名はガン、「俺、もう3ヶ月の命だ」と言われて驚き、喫茶店で見せられた手や足の点滴の跡、それは満身創痍のすべてを物語る悲惨な状態だった。

 それから1ヶ月も経たない内にこの世を去ってしまった彼、九州からお母さんと弟さんが、そして東京で美容師をされていた姉さんが寄られ、今でいうところの静かな家族葬で送られたが、時折に夢の中に出てきては笑顔を見せてくれる。

 彼が、ある店のバイトの女の子に恋をして、ラブレターの代書をしたこともあるし、それが縁で彼女の実家を探しに神鍋高原まで行ったこともあった。

 また、彼の友人の故郷まで一緒にと誘われ、マツダのキャロルに3人乗って深夜の国道8号線を走ったこともあったが、眠気覚ましの「オールP」を飲み過ぎて胃が痛くなって苦しんだことも懐かしい。

 そんな彼のアパートがつい最近に取り壊された。あるお寺の真ん前にあった6畳一間の部屋だったが、彼が好きだった「OTTO」のステレオで聴いたレコードの音を今でも憶えている。

 私が大きな交通事故で入院した際、茨木市の病院まで週に何回も見舞いに来てくれた彼、夢の中で「俺の分まで長生きをしろよ」と語り掛けてくれる。

 ふと思い出したのが彼が入院していた病院、今春に私が入院していた大阪赤十字病院で、当時は信じられないほど古い建物。廊下を歩くとギシギシするようなイメージで、失礼な表現で恐縮だが、今なら世界遺産になりそうな雰囲気さえあった。

 3月に手術した際に体験した不思議な出来事のいくつかを書いたが、その一つである壁一面に出現した鳳凰の姿、ひょっとしたら彼からのエールだったのかもしれないと思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net