2006-10-13

メモリアル・デー  NO 1656


 お会いした長老のお言葉が、人生観の「味」というものを感じさせてくださった。

「齢を重ねただけ山は高くなり遠くの景色まで見えることになるが、麓が見えなくなってしまうもの。死というものは、麓に下りてから迎えたいものじゃな」と、矍鑠そのものの86歳の方の重いお言葉だった。

 これは、日本茶を飲みながらの会話だが、もしもコーヒーだったら仰っただろうかと失礼なことを考えていた。

 庭を見る、花を眺める。また見事な枝振りの木を見つめる。人は、そんな環境に発する言葉が変わるもの。その風情こそが日本茶の世界のような気がするが、果たして洋風の窓から見える噴水で、そんな言葉が出るのだろうかが興味を覚えるところ。

「わしの葬儀を頼むぞ」というのがいつもの口癖。この夏にお会いした際には入院の事実をご存じだったようで「わしより先に逝ったら承知せんぞ」と叱られたが、今日は「随分と元気になったようで安心じゃ」とニッコリされた。

 さて、所属する協会のメンバー達からプレゼントが届く。南国からはびっくりするほど大きい「荒尾梨」が。北国からは「北の大地 **より」とK君から可愛い花にメッセージカード。

 今日は、珊瑚、翡翠にあたる結婚記念日。<よくぞ憶えていてくださった!>と感謝の合掌。自宅に戻ったらあちこちから花のプレゼントが。その一部を会社に運ばせてから遅めの食事。皆さんに手を合わせてからいただいた。

 料理は「ジャガイモ」を中心としたもの。過日に北国のメンバーが送ってくれたものだが、じっくりと時間を掛けて炊いたものが特別に美味く、昨夜の「かやくご飯」に続いて二日連続で大好物を食せる幸せ感を味わった。

 過去に失敗した結婚記念日を思い出す。ついうっかりと講演を受けてしまっており、不機嫌になった妻。それから間違いなく意識するようになったが、昨日、今日と連続で来年の講演依頼が入ってスケジュールが詰まって行く。

 講演も落語も冒頭の「まくら」が大切、そこで今春の手術入院の体験話が役立っており、葬儀に携わる立場で健康談議をするから受けるのかもしれないが、ここにも「体感に勝るものなし」という道理がある。

  落語で思い出したが「サンサンてるよ」さんの「日替わりコーナー」が勉強になるし、クイズを楽しみにしながらブログを訪問している。落語作家として活動さ れる一方で、日本でただ一校という専門学校の先生としてご活躍。そのご講義の光景を勝手なイメージで思い浮かべている。

 サンサンさんの学校は「ドレミ・・」の音階が何より大切な世界。私が司会者向けの講義をする時も、そんな音階をキーワードにして教えている。サービス業の発声第一音は「ソ」と分析されているが、自分の言葉のスタート音階を理解している人は希である。

 そんな中、聖路加病院の日野原先生が「挨拶はド」「看護師はラ」がスタートと分析されていたことが興味深いことだ。

 アナウンスの抑揚表現に「○●●●○」のような音符的アクセントで勉強することもあるが、ちょっとしたヒントの実践から急激に技術アップすることがあることも知って欲しいし、喋りを変えるということは「意識すること」から始まるとアドバイス申し上げる。
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