2023-10-02
ご仏縁 NО 10037
リハビリの帰路は車で大池橋交差点を通るが、7月頃か交差点の角にある友人の店のシャッターが下りたままなので気になっていたが、今日通ると開いていて奥さんの姿がったので「かれはげんきか?」と聞いたら7月下旬に亡くなったと言われて衝撃を受けた。
スト池として知られた隠れ谷池にも行ったことがあるので悲しくて残念でならない。
私が大病を患う前、「至峰さん」作の玉網をプレゼントしたことがあったが、大層喜んでくれたことを憶えている。
彼はカラオケを歌わしたら抜群で、他のお客さん達が歌うのを止め、ずっとリクエストされるレベルで、演歌からフォークソングまで引き語りも出来たし、まさにプロレベルだったと思っている。
私の妻との交流も長く、施設に入居したと伝えたら驚いていたが、店の奥でいつもコーヒーをよばれていた。
奥さんに体の気を付けてねと声を掛けて戻って来たが、彼は私より2年若かったのでショックだ。
いつも元気で冗談ばかり言って笑わせてくれた彼、人の世の別れの悲しみを改めて体験したが、病名を聴く気持ちにはなれなかった。
隠れ谷に行った際、一番奥のスペースに駐車したら、すべての車が帰るまで出発出来ず、真っ暗な中を帰ったことを思い出す。
自宅の郵便物の中に郵便局の不在通知が入っていたが、目が不自由なので来宅したヘルパーさんに対処して貰い、夜には配達して貰った。
過日に来られた刃部からのレターパックで、興味深いことが記述されていて一気に読み込んだ。中に奥様からのお手紙も入っており、ユーモアたっぷりな文章で拍手を贈りたくなったが、ご夫婦で「独り言」をご笑覧くださっていたことを知って恐縮しながら緊張を新たに感じた。
我が家の住所に誤りがあった。4―21-6なのだが、21まで書かれていたが、「6」の部分が欠けており、それで届いたのだからびっくりした。
人生には様々なご仏縁がある。小説「あの世の旅」を世に出してからしばらくした頃、東京の一級建築士さんから電話があり、「小説」の中にあった「野辺の送り」について問われた。
荒川の近くにあった戸田斎場のリニューアルが行われるそうで、イメージが湧かないのであって話したい、と言われ、大阪までやって来られて「野辺の送り」について「小高い丘を棺と共に歩みゆく情景」と伝えたら、イメージが湧きました。と言われてお帰りになったが、それで完成したのが世界一の火葬場と称された「戸田斎場」で回廊が存在していたのが印象に残っている。
その後、その斎場のオープニングセレモニーを担当するご仏縁になり、導師を務められたのは東京本願寺のご住職だった。
職員の制服などのアドバイスもしたが、初めは反対されていた皆さんがに好評になったのでよかった。
振り返れば「小説あの世の旅」が結んでくれたご仏縁になるが、ずっと回収したい著書である。