2023-08-12

忘れられない日  NО 9996

記録的延長戦今日12日は日航機事故から38年目。犠牲者の葬儀を担当したこともあるので忘れられない。

弊社の式場でコンサートをやっていた時期、慈曲の作曲者である高橋美鈴さんのシンセサイザーをゲストに迎え、私が司会を担当していて日航機事故で亡くなられた坂本九さんを偲び、彼女の伴奏で綿足がハーモニカで「見上げてごらん夜の星を」を演奏したこともあった。

日航機事故では我々亜業界の知られる人物が犠牲となって驚いたが、伊丹空港の近くに会社があるので、社員に緊急通達をしたことを憶えている。それは日本航空側からの依頼があっても受けないでということで、犠牲者の遺族側から依頼があれば空港へお迎えに行ってもいいが、その時は扱っても黒いネクタイをして正装で行くように厳命した。

実際に遺族側からの要請で迎えに行ったスタッフが戻ってから正装で行って正解でした。と体験したことを語っていたが、正装で行っていたのは弊社のスタッフだけで、他の業者の服装を目にされた遺族が「なぜネクタイもしていないのか?」と糾弾されていたそうだった。

私は過去に事故を起こしたタクシー会社帰らの葬儀依頼を断ったケースがあり、「最高の葬儀屋をつもりなら葬儀屋に断られました。遺族側からなら受けます」と返したものだが、それはともに寄り添ってどのような葬儀をプロデュースするかは、怒りの対象である加害sy側からの依頼では無理という考え方であった。

断ったタクシー会社の話から改めて遺族側から依頼の電話があって 受けることになったが、タクシー会社と遺族の両者から感謝されたことを憶えている。

甲子園球場で高校野球が行われているが、歴史に残る延長戦になってスコアボードからはみ出る「ゼロ」をならべた試合で捕手をされた人物の葬儀の司会をあるご仏縁から姫路で担当することがあった。600人の会葬者が予想された大規模なものだったが、その地のしきたりでは開式と同時に焼香が進められ、出棺される時の参列者が激減する流れだったが、遺族の方々と導師に提案して親族焼香の後に代表者焼香を入れ、その後に一般焼香を行う大阪式を提案して了承をいただき、大勢のご出棺時のお見送りをいただいたことを憶えており、高校野球の放送を見る度に思い出している。

延長再試合で思い出すのが青森三沢高校の太田投手のことだが、彼が近鉄に入団し、日生球場で初登板した時に妻と球場で第一球のバックネット直撃の冒頭を目撃し、球場内に大きなどよめきが生まれたことも記憶のページに残っている。

その後に青森の三沢空港に行ったことがあった。それは社員の仲人を頼まれたからで、仕手が青森の方で実家に挨拶に行くことになったからだった。実家に着くと大勢のその地の人達が集まり盛大な宴会となったが、その地では仲人のことを「神様」と呼び次々にお酒を注がれて参った覚えがあり、浅虫温泉で一泊してと思っていたら次の日に風邪で発熱し、大阪行きのブルートレイン「特急 日本海」のA寝台で朦朧としながら帰阪したことを憶えている。

その後に浅虫温泉のホテルでの講演に行ったことがあるが、主催者側の私の紹介の言葉が半分わからなかったので、講演の冒頭で「ここ、NHK放送が受信できますか?」と問いかけたらワッと盛り上がったことも思い出だ。

ポケットにいっぱいある硬貨を取り出して箱に入れているがあふれてしまっているので少し使おうと思って500円硬貨と100円硬貨を取り出して力餅で食事をして、帰路に「あもやさん」で「あんみつ」を買ってきた。

食欲がない時に「あんみつ」が食べ易く、昨日のヘルパーさんに「ところてん」と黒蜜を買ってきて貰っているので数日間は大丈夫のようだが、げっそりした体が戻るには難しいだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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