2022-01-16

震災の前日に  ǸО 8796

明日は阪神淡路大震災から27年目を迎える。恐ろしい体験をしたし犠牲者の葬儀を担当したこともあるのでずっと忘れないようにしている。

震災後に大阪のホテルで全国的な研修会が開催され、弊社と神戸の公詢社産の二社が主催することになった。日本全国から「悲しみのプロ達」が結集するのだから真剣に取り組んだが、1日目は公詢社の吉田社長に犠牲者の皆さんを対応された際の体験談を講演いただくことにした。

犠牲者の2600人を対応されたことからその体験談は貴重で、参加者全員が涙を流すひと時となった。

二日目は「21世紀の葬儀」がテーマで、私が死んだことにして新しい葬儀を企画して貰う趣旨があったが、プロデューサーを担当してくれたのは苫小牧市民斎場の沖本社長で、彼が捜索してくれた私の「追憶ビデオ」の内容は秀逸だった。

苫小牧市民斎場や室蘭市民斎場を運営する北海道のメモリアルグループとは深いご仏縁があり、何度も訪問したことがあるが、彼が数年前に建設された式場がびっくりで、北海道旅行の帰路に夫婦で立ち寄ったら妻も感動していた。

私はメモリアルグループのスタッフ100人に向けて講演をしたことがあるが、出発の便であった関西空港発の全日空の便が欠航となり、頭の中が真っ白になったことを憶えている。

奇跡的なことから何とか間に合ったが、講演終了後に抽選で選択された方々と会食をすることになり、そこで「自己紹介」してくれた3人の社員の皆さんの話に感動し、この会社が見事に育っていることを実感した。

「私は友人のバイク事故の葬儀に参列し、この会社のスタッフの素晴らしさに感動し、親
に反対されましたが入社してよかったと思っています」

「私は妻の実家の義理の親の葬儀に北陸から会葬しましたが、この会社で働きたいと思ってすぐに転職することにして入社しました」

「私は競合する互助会の社員でしたが、敵情視察で何度かやって来たこの会社の姿に「とても敵わない」と考えるようになり、互助会を退職して入社しました」

こんな3人の話が羨ましくてならない思いで函館に向かう「特急スーパー北斗」の車内で
妻と話し合ったことを憶えている。

震災前日の今日だが、まさか次の日にあんな大きな地震が発生するとは想像もせず、睡眠導入剤を服用してから和室で就寝していたら、異様な音と揺れで目が覚め、天井のぶら下がっていた和風の蛍光灯が揺れて天井にぶつかる光景に衝撃を受け、自宅が「ミシミシ」する音に倒壊するのではと恐怖に震えていた。

地震が発生した時間は午前5時46分だったが、その日は二件の葬儀の司会を担当する予定で行動したが、1件目の葬儀ではお通夜に60人ほどおられたご親戚が半数ほどしか来られず、導師を務められたお寺さんも「車が無理だったので」と自転車で来られていた。

午後の葬儀は大正区の小林斎場にご出棺したが、阿倍野の近鉄百貨店の前から西は停電しており、信号が機能していなかったので大変だったことは忘れられない。

震災から27年で「風化」という言葉も出て来るが、研修会の時に聞いた「公詢社」の吉田社長の体験談は今で忘れられず、彼は「語り部」の一人だと思っている。

神戸にオープンした震災のセンターに行った際、ある買い物してきてずっと大切にしていた物がある。

それは「マッチ」を収めるケースで、弊社が初めて全国的に広まった「献灯式」に使用するものだった。

そのケースには「3・17」の数字が入っている。それは「献灯式」が本物である証のツールなのである。
慈曲葬 祭壇の一部
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