2014-04-28

重い問題  NO 3620


超党派の議員連盟が法制化に向かって動いているのが「尊厳死」という問題だが、前にも書いたことだが、「安楽死」や「尊厳死」を法で決めることは絶対にやるべきではないと考えている。

30数年前に書いた愚書「お葬式と春夏秋冬」の中でその問題に触れたが、その時の思いは今も不変で、有識者の意見を求めて進める行動に疑問を抱いている。

確かに医療機械による延命措置に問題があると理解しているが、人としてこの世に生を享けた以上1秒でも長生きをしようと努力するべきで、周囲の人達は1秒でも長生きをして貰おうと努力するべきと考えたい。

結 論は医師の判断に委ねるというのが私の考え方で、それには医師が医療の学問だけではなく「宗教観」「倫理観」などの研鑽を広め、終末を迎えている人や家族 のことを考慮して決断に至るのは医師の仕事で、政治家が「議員立法」という立場で法整備に行動するのはおかしいと指摘したい。

昔に読んだ書物の中で印象に残っているのが「死にゆく人の17の権利」で、ご興味があればネット検索で確認出来る筈なのでご確認を。

社会には「ホスピス」というシステムも増えている。過去に入院したことのある大きな病院にもその存在があったが、自分自身が患者という立場から真剣に考えさせられたことが強烈な印象として残っている。

医師にも様々な人物がいるようだ。本当かどうかは不明だが、診察時に咳き込んだ患者に向かって「超、やばい!まじで」と茶髪でピアスの若い医師が言ったというやりとりが掲載されていたのを読んだこともあった。

こんなタイプの医師に「安楽死」や「尊厳死」について携わって欲しくないが、「遺志」「医師」「威志」「意思」などの文字の意味を深く考えたいものである。

「意思を尊重する」という言葉があるが「医師を尊重する」と置き換えると大きく意味合いが変化するし、それだけ複雑で簡単ではない重い問題が秘められているもので、宗教者の考え方にも様々であろうと想像する。

これまでの人生で9回も入院し、転院を含めると11の病院のお世話になった体験があるが、何の自慢にもならないが、友人達から「患者の評論家になれる」なんて笑われている。

病 の体験はアドバイスとして人の命を救うこともある。2人の友人から感謝されていることがある。一人は年齢的に頭のMRIを受けるべきだとアドバイスした ら、すぐに行動を起こし、「隠れ脳梗塞」が見つかって薬を飲み始めて十数年という人物もいるし、もう一人は久し振りに会って体調を聞いたら、「それ、脳梗 塞の可能性があるからすぐに病院に行くべき」とアドバイスしたのに行動せず、その日の夜におかしくなって私の言葉を思い出して救急車で病院へ行ったら脳梗 塞と診断され、対応が早かったので数日の入院で退院出来たという出来事だった。

心疾患や脳疾患は必ず兆候がある筈と言われているが、日頃の血液検査は絶対に重要である。適度な運動をして成人病にならないようにしたいし、動脈硬化と高血圧は軽く考えないように願っている。
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