最新 最古
2002-09-03

プロデュースの裏側で   NO 184

 昨日の「独り言」で音楽のパワーについて書いた。誰にも愛される名曲の誕生は1ヶ月で世界中に広まり、曲論だがこれを宗教に置き換えて考えたら、とんでもない教祖と言えるだろう。

 今、私の隠れ家に昨日からシンセサイザーが置かれている。これは、私の要望から弊社女性スタッフが持ち込んだもので、数日後から葬送音楽のレッスンを始めようとしている。

 楽器というものは、聴く人と奏者の間に存在する「物」でしかないが、奏者の心が伝達出来るレベルに達すると「人格」を有することになり、周囲を幸せにしてくれる。

  取り分け、葬儀に於いては、不幸の中で「少しでも不幸でないように」という空間環境を醸し出してくれることになるが、大半の葬儀社や葬儀に携わる演奏者達 は、「悲しみの強調」との誤解をされてしまっているようで、それが「お涙頂戴型」という、私の最も好まない考え方なのである。

 過日にも 登場したが、オリジナルCD「慈曲」が誇り高きテレビ番組「宗教の時間」で紹介された時、作曲担当の美濃三鈴さんが演奏していた曲は「時空を超えて」で、 ナレーターを担当していた女性ナレーターは、「これは、遺族を励ます曲です」とコメントしていたことが印象に残っている。

 過日に行われた九州での社葬。この式次第の中でもこの「時空を超えて」をフィーチャーした。
社葬を主催される会社の社員の皆さんが、亡き会長さんのお好きだった言葉を掲示される情景に流れたこの曲は、式場に「そうだったね」「よかったね」という雰囲気が生まれ、私が描いていた環境空間が見事に完成することになった。

 総合プロデュースという観点からのキャスティングでは、葬儀に於ける音楽は単なる一出演者であり、最初から最期まで脇役に徹して貰うことが通常だが、私は、式次第の何処かで1曲の音楽に「主演」を担当させるシナリオを描くことも多い。

「この曲に何処かで出会ったら、故人を思い出してください」とのコンセプトを秘めており、この提案の説得は、「僭越」という考えを超越する納得につながっている。 

 多くの演奏者達と仕事を共にしてきたが、みんながびっくりされることも少なくなかった。それは、献奏曲の場面で、イントロを割愛してくださいという提案で、誰もが「?」を抱かれ、納得させるまで何度も熱い戦いをやってきたのも懐かしい思い出となっている。

 イントロを割愛するという背景には、当然、それだけの狙いがあるからで、敢えて戦いの終局のところで「本心」を伝えると、「なるほど」という納得の協力が得られることになるが、この部分は企業秘密。

 近々に始まる弊社の女性社員へのレッスンは、技術の前に葬儀に於ける音楽の重要性と意義を教育し、大切な方の大切な終焉の儀式に携わったという「誇りある仕事」と認識してくれることを願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net