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2003-01-01

迎春に合掌しました   NO 301

除夜の鐘のお手伝い。その後、祈りと誓いの心を込めて突かせていただいたが、今回は、これまでより良い響きに聞こえた。

 お寺には「お十夜」や「お施餓鬼」で供養された「塔婆」が多くあるが、記された戒名や檀家さんの先祖代々の文字を目に、一枚ずつに黙礼をしながら恒例の焚き上げを手伝ったが、その中には、私が担当というご仏縁をお結びいただいた方のものもあった筈。

葬儀の司会者が、こんなかたちで故人と何年も「えにし」が続くことも意義深いような思いを抱くし、お墓のある境内で鐘の音を聞きながら火の側にいると、私の人生がまさに「葬送の世界」に生かされていることを実感することになる。

紆余曲折の人生模様、「苦」と「楽」の幅。また、「悲」と「喜」の幅は、それらを体験した人の感性の異なりによって大きな差異が生じるもの。

 往復のタクシーの運転手さんから拝聴した不景気な現況報告。「日本は、地獄でっせ」と発せられた言葉に、「北朝鮮の国民からすれば、極楽では」と、つい返してしまった。

 自宅に帰り、軽い食事を済ませて銭湯に急ぐ。時計を見れば午前2時前。今日だけ延長された営業時間の終了間際。
「女湯の方は、まだ、多く入っていますから、ゆっくりしてください」

 そんなお言葉に甘えて浴室に入ると、シャンプー中の若い男性が一人だけ。

 今日の日変わり湯は、メイン浴槽が「ゆず風呂」。温めのセカンド浴槽は「酒湯」とあり、数升のお酒が湯に入っている。

 冷えた身体が少しずつ温まる。その頃には、若い男性が脱衣場にあがり、着替えて新聞を読んでいる様子。男湯は、私だけで心細いが、女湯からの会話が聞こえ、まだ、数人はおられるようで、結構賑やか。子供の声も混じる。

そこに少しの時間の余裕を感じた時、<ここにも素晴らしい極楽があるではないか>と、ふと思う。

 照明が少し落とされた湯気空間。そこは、まさに「悠々」たる極楽空間。愉悦の「愉」が「湯」によってもたらされる贅沢。「ちょっと間」の幸せのひととき。しかし、時間が止まることはない。

 風呂上がりの脱衣場で、缶ビールをいただいた。これは、また格別の味。ここにも天国を感じるものがあるではないか。

昨年の秋、この銭湯のご主人さんが亡くなられたが、ご主人は、ビールが大好きな方だった。献杯を捧げていただいてきた。

 夜が明ければ、「愛と癒しの葬儀」を目指す「別れと悲しみ」のプロとしての仕事が始まるが、今年は、昨年より少しでも「人に優しく接する努力をしよう」と思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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