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2002-12-23

明日に向かって   NO 292

一般的な葬儀にも、音楽が活用されるようになってきている。

 尺八ばかりが流れていた頃のことが懐かしいが、この数年で使用される音楽に変化が生まれ、クラシックや童謡を中心に重宝されているようだが、ある葬儀社さんが、ご出棺時に「蛍の光」を流されている事実を知った時には、衝撃で固まってしまった。

 1曲の音楽が会場空間を儀式空間に「神変」させるだけのパワーを秘めているし、参列者の心の中に「思い出」として「形見」をプレゼント出来る重要な手段でもある。

 これらは、CD「慈曲」による効果に顕著で、旋律と編曲構成の把握さえしていれば、上記のことが最大限に発揮出来るものだ。

 一方で、故人の愛唱曲を抵抗感からそのまま流せない時には、レクイエム調に編曲しなければならないこともあるが、それだけで葬儀に於ける音楽が充分に活用されたとは言えない。

オリジナルCD「慈曲」を制作監修し、完成された音楽を葬儀で活用している私にとって、音楽に対する「こだわり」は誰よりも強いと思っているが、そんな私が、今でも、ずっと悩み続けてきていることがある。

  参列者には、故人と面識の全くない義理的立場の人が存在している。この人達に「命の尊さ」や「あなたもこの日を迎える」という、葬儀の意義を伝え与えるこ とは、音楽と言葉の演出で簡単であるし、「全員を泣かせてみろ」と言われても可能な範囲だが、これは一流のプロがするべきことではない。

 葬儀には、式場にドラマティックなシナリオとしてキャスティングが完成している。それは、もうこの世におられない方の「遺影」と、悲しみの「遺族」の存在である。

 大切な方を送る「家族の心」が伝わる。不幸の儀式の中で「ほっとする」不幸でないひとときが感じられる。そして、「厳粛」でありながら「さわやかな時間」が流れていく。
 そんなところまでは完成しているのだが、私が求める究極の葬儀の世界にあって、どうしても出来ないことがあり、悩み続けてきている。

 これまで、どれだけの音楽を聴いただろうか。数千曲を耳にしても「これだ」という曲に巡り会うことが出来ない悩み。その使用する部分は、ほんの短い時間なのに。

 映像や言葉の演出のない短い時間の流れ。その中で故人との思い出をそれぞれの方々が自由に追想する。そこに流れる音楽は、誰も耳にしたことのない曲が理想。音楽の専門家さえ知らない、いや、耳にして残らない音楽を求めているのである。
 
 これは、上述したことからすると、義理的参列者の存在に矛盾することになるが、その方々でさえ、遺影から浮かぶイメージ想像を広げて欲しいという思いも秘めている。

 1曲は、故人につながる強烈な曲。一方は、まったく記憶に残らない曲。生きている間に、後者の曲を発見出来ることを祈ろう。

 さて、年の瀬を迎えているが、我々葬祭業にはクリスマスも正月もない。1日に2700名の方が命終されており、大晦日から新年を深い悲しみに包まれて迎える方もおられる。

 私は、明日から急な出張で東京行き。腰痛で「のぞみ」の2時間半が辛いところだが、少しでもましなように、「700系」ではなく、背もたれに枕の付いた「500系」を選ぶことにしよう
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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