2004-01-28

「読経」と「度胸」   NO 683

今日は「コピーライターの日」だそう。友人に著名なコピーライターがいるが、短い言葉で見事にイメージを伝える彼の作品には、いつも驚かされている。

 さて、今日の夕方に行われた葬儀、多くの参列者の大半がご出棺まで見送られ、その人徳の凄さを改めて知り、「人は、生きられたように送られる」という「生き様」を謳った言葉を思い出した。

 故人にはお二人の娘さんがおられ、そのお悲しみを「癒してあげたい」というプレゼントが届けられていた。

 贈られたのは故人の友人で、大阪のSライオンズクラブの会長さん。CDと同じタイトルの小冊子があり、式次第の中でその音楽を流し、詩を朗読させていただいた。

 タイトルは「千の風になって」というものだが、朝日新聞のコラムに紹介されてから大きな話題になり「新井 満」さん作の旋律が式場をやさしく包んでいるようだった。

 この詩だが、世界中で弔意を表す朗読などで用いられ、活用された例としてマリリン・モンローやジョン・ウェインという懐かしい俳優があった。

 ただ、日本では宗教上の問題から、葬儀の中での朗読には抵抗感を抱かれる恐れがある。特に「霊魂あるないを問わず」という考え方の浄土真宗では強いものと推測するが、悲しみを癒す、慰めるという観点からすれば広い心で歓迎したい思いもある。

 「ご冥福」「祈る」「ご霊前」「黄泉の国」「草葉の陰」「幽明境」など、弔辞でよく用いられる言葉を禁句とされる浄土真宗。そこで次の一文を朗読するには度胸がいる。

 『私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません』
 『私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません』

 ましてや、導師焼香と表白が終わり「読経」が始まるまでの間に弔辞というタイミングで挿入するなんて「度胸」どころではない大冒険。開式前の打ち合わせ時に事情を説明、平身低頭お願い申し上げご海容をいただいた。

 一方で、生い立ちナレーションだが、娘さんからのメッセージが託されており、その部分のナレーターを女性スタッフに担当させたが、あちこちですすり泣きの声が始まり、私が再度ナレーターに入る時には非常にやり難い環境になってしまっていた。

 故人のご趣味はゴルフ。あちこちでプレーをされているビデオを持った友人がおられ、その方から拝借したビデオを編集したが、その中に私の10年前の姿が入っており、手伝わせていた女性スタッフが「社長、髪、ふさふさではないですか?」なんて言われて衝撃も。

 また、お預かりした写真に素晴らしい1枚があった。そこで特別サイズで創作してメモリアルボードにお飾りしたが、星野監督風のカッコいいポーズ。そこに打ち込ませたコピーは私の作。

「いつもダンディーで、さりげないオシャレが印象に残っています」 どうぞ、安らかに。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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