2002-03-13

ホテル葬・・・15年前の発想

ホテル葬の発想を抱いたのは、15年前だった。
その当時、あちこちの地方で葬祭専門式場が建設されつつあった。
ある一級建築士から、葬祭式場建設に対するアドバイスの要請を受けたことが発端となり、これは勉強の価値があると思い、無償で葬祭式場の将来と客観的な立場での分析を始めることになった。

 原子力発電所と環境問題処理場は、絶対に必要だが近くにあっては欲しくないという考え方があるが、その当時の葬祭式場建設は、近隣住民の反対圧力から、辺鄙な場所に建設されるという社会背景の事情があった。

 葬儀社の中には自由社会、営業権という権利の主張を表面化する動きもあったが、その当時には、それは賢明な方策ではなかった。

 設計士がいよいよ設計段階に入る前、私の分析を伝えたが、それは、次のような報告を提出することとなった。
*喪主や遺族の立場になると、妻の親戚や兄弟の嫁ぎ先の親戚に気を遣うが、自宅を親戚に開放することはプライベートルームの崩壊につながり、絶対に嫌がること。だから葬祭式場の将来は可能性があり、流行する。
*立地条件に恵まれない辺鄙な式場は、葬儀の終了時のタクシー手配で問題発生が考えられる。だから、広い駐車場の確保と最寄の駅までの交通手段を考慮しなければならない。
*ご遺族や親戚の皆さんが睡眠をとられる空間が必要。それは、広い和室にレンタル布団という「雑魚寝」レベルでは不満足が発生する。
*難しいご親戚は、自分の家族だけの鍵付き部屋を要望される。
*深夜の食事対応も必要で、風呂の設置も考慮したいが、その場合、ゴルフ場のようなバス用品も考えなければならない。
*朝の洗面施設と用具の対応完備。
*朝食やモーニングコーヒーサービスも重要。
*葬儀終了後の「御斎」は、グレードの高い料理設定も求められてくる筈で、近隣の仕出し屋さんも数件の契約が必要。
*お食事内容だけではなく、人のサービス提供を重要視するべき。

いかがだろうか、上記の全てを解決するには「ホテル」の存在が見えてこないだろうか。
それが、ホテル葬の発想のきっかけとなった訳である。

 その当時、全国の葬祭業者向け講演の機会があり、「10年後にはホテルで葬儀が行われているだろう」と発言し、嘲笑されただけではなく、「そんなことになったら逆立ちをしてやる」という言葉まで頂戴し、狂人的な発想とさえ言われた記憶がある。

 分析は葬祭式場に関する葬儀の問題だけではなかった。少子化傾向に生まれるホテルバンケット市場の行き詰まりと、日本人の根底にあった「儒教精神」の希薄も予測の重要な背景となった。

 それから約10年間、ホテルに於ける仏事サービスの構築に向けて、試行錯誤を繰り返す日々を迎えたが、どのように考えてみても確実に「ホテル葬」が結論に達してしまう。

 法要の「お食事のみ」バージョンから始まり、偲ぶ会、お別れ会、音楽葬、告別献花式、社葬と、様々な形式のホテルサービスのありかたを構築、何処にも出来ないオリジナルホテル葬のサービス提供可能に至ったことが、本当に懐かしい思い出となっている。

 弊社が知的所有権を有するオリジナル「ホテル葬」形式は、今、日本トータライフ協会を通じて全国で高いご評価を頂戴しているが、お通夜から担当をさせていただくという、本格的なホテル葬サービスは、現在のところ弊社だけの世界となっている。
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