2003-03-24

悲しみの無視    NO 381

今、午前1時を回っている。お客様の打ち合わせに出掛けているスタッフが2人帰社しない。情報からすると複雑な事情があるようだ。

 午前中にお電話を頂戴し、夕方に事前相談に来社されておられたが、その相談中のご家族の携帯電話が鳴り「危篤」が伝えられ、急いで病院に向かわれるというお気の毒な状況であった。

 それから1時間も経たない内にご逝去。病院にスタッフを向かわせた。

 ご家族の方はご存じないが、私は故人と生前に何度かお話をしたことがある。曲がったことが大嫌いで、素晴らしく人望のある方だった。

 事前相談に来られたご事情の中に大きな問題が秘められていた。ひとつは導師をつとめられるお寺様が有名な寺院の高僧。もうひとつは町の人達に迷惑を掛けたくないということであられた。

この方の町の役員さんにとんでもない人物がおられ、悲しみのご遺族を二重、三重に悲しませることで有名。故人は、そのことが許し難いことだというお考えを前々から抱かれておられたお方。そんな事情が複雑な打ち合わせになっているのである。

 これらを出来るだけ解決する方法として、式場を少し離れた大阪市立葬祭式場「やすらぎ天空館」ということで内定したが、「地元でやるべきだ」というヨコヤリが入ることが予想されている。

 故人の生前の思いを「何とかして差し上げたい」との思いが、町の有力者の高圧的な発言で消滅することも多く、それらは、これからも町でご遺族が生活を営まなければならないという心情が背景に絡む。

 結婚式なら自由に進められるのに、なぜ葬儀に入り込んで来られるのか不思議でならないところだが、単なる風評ではない事実に、葬儀社や料理屋さんへのリベート要求があるのだから救いようのない人物。

  「この町で葬儀は行いたくない」というお声をどれだけ耳にしただろうか。また、遺族が親戚の方々から「どうして葬儀で遠慮しなければならないのだ。この町 はなんという町だ」と責められる光景を嫌というほど目にしてきたが、日本が文化国家でない証しがこんなところにも存在しているのである。

 数日前、大阪の中心部の町で担当した葬儀もそうであった。町のオジサンが1人で張り切り、遺族や親戚の方々の考えなど眼中になく、この町は「ワシの流儀」一点張り。お通夜の時には家族から嘆きのお声が聴かれた。

 スタッフのミーティングの時、「この町は信じられないほど時代遅れ」という意見もあったが、確かに21世紀とは思えない「化石」のような町だった。

 しかし面白いもの。葬儀が終わると近所の女性の方々が女性スタッフを呼ばれ、「こんな葬儀、初めて体験したわ」とおっしゃっていただき、10数枚の名刺が求められたという報告があった。

 そこでチラッと耳に挟んだ言葉が気になった。「そのオジサンは、地元の業者さんとリベートで結ばれている」ということ。葬儀で張り切る方がどこにもおられるものだと再認識した日でもあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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