2020-03-31

新年度  NO 8751

霧島ホテル 大浴場
目覚めたら少し身体が楽になっていた。念のためにと体温を測定すると35度台の平熱で、コロナで中ってホッとした。だだるさは残っているが、しなければならないことがいっぱいあるのでまずは税金の納付に行った。早く納めても何ら特典はないが、遅れたら延滞税が掛かるし、督促状なんて届いて欲しくない。

督促状を無視していた芸人が話題となったが、笑わせなければならない立場が「笑われることになったら」最悪。人生に法に抵触する行為は後悔することになる。

コロナ問題があるのに税務署の中は大混雑。確定申告が1ヶ月猶予されるようになったこともあるようだが、混雑の中は危険なので税務署での納付を止めて郵便局へ変更した。

届く筈の書類が届かないので区役所に行く予定を変更し、一度自宅へ戻ってきた。明日4月1日は私にとって忘れられない日。17才の時に右腕を骨折したからで、靴の後部に打込まれていた金属が原因で坂道で滑り、地面に付いた手の上に倒れ込んだからだった。

一瞬激痛を感じ、立ち上がろうとしたら視野が黄色くなって夕方みたいに暗くなった。手首を見ると完全に「く」の字になっており、骨折したことがはっきりと分った。夕方に家に戻ってから事情を話して寺田町駅近くにあった接骨院「大学堂」へ行ったら、先生ともう一人の助手の男性2人で骨折している部分の両方で引っ張り合い、「く」の字になっていた部分を真っ直ぐにしてくれた。

直ぐに添え木が当てられ三角巾で首から吊すようになったが、右利きなので字を書くことも大変だし、卓球の予定していた大会も棄権することになってしまった。

私の従兄弟で一回り年上の人物がいた。彼は地方公務員だったが映画鑑賞が趣味で、映画の月刊誌などにも投稿していて、新作が公開されるとすぐに映画館に行っていた。

彼が私を初めて連れて行ってくれた映画は、1957年公開の「ナバロンの要塞」で、主演のグレゴリー・ペックが印象に残っている。

それは私が小学生時代だったが、現在のあべのハルカスに隣接していた近映大劇場だった。


その後、中学生になった頃に連れて行って貰ったのが同じグレゴリー・ペック主演の「渚にて」だったが、第3次世界大戦が勃発し、北半球が死の灰で殲滅する中、深い海底にいた原子力潜水艦が、生き残った人々が暮らす南半球へ向かい、メルボルンに寄稿する物語だったが、こんなことが実際に起きて欲しくないと祈っている。

この映画の主題曲はオーストラリアの第2国歌として歌われているヲッチング・マチルダで、見終わって映画館を出る前に旋律を完全に憶え様々な楽器で演奏したことがあるので懐かしい。
中でも私が参加していたボランティアの団体にオーストラリアからの人達が来られることになり、ハモンドオルガンでマーチ風に演奏して入場して頂いたら、多くの方々から喜ばれて悪手をしたことが印象に残っている。

コロナ問題が終息したら何処へ行きたい?」と質問されたので鹿児島県の「霧島ホテル」と答えてしまった。

大浴場の硫黄谷温泉はプールみたいな大浴場を囲むように、様々な泉質の温泉が並び、正に圧巻という世界。死ぬまでにもう一度と考えているが、今度で3回目の利用となる。

飛行機なら鹿児島空港や宮崎空港からアクセスとナルが、新幹線の「さくら」で4時間以上要して鹿児島入りするのも悪くない。次の日に指宿温泉に回って桜島を眺めて大浴場に入るのも絶景だ。

今日の写真は硫黄谷温泉。
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