2002-09-26
燕三条駅での思い出
この「独り言」へのアクセスアップの影響からだろうか、最近、全国からの講演依頼が増えているが、スケジュールの調整がうまく噛み合わず、先延ばしとなっているケースが多く申し訳ないところで、全国を積極的に回っていた頃が懐かしい。
上越新幹線が開通した頃、新潟県の大きな団体から講演依頼があり、電話を受け取った女性スタッフが、おかしなやりとりをやっていた。
「ですから、飛行機はダメなのです」
横で聴いていると、先方は、「大阪伊丹空港から新潟行きの飛行機を利用すれば、1時間で到着することが出来るし、当日の朝の出発で間に合う」とおっしゃっているようだ。
「絶対にダメなのです。二つの条件がございまして」
彼女がそう言っているのは、私が大の飛行機嫌いであることと、欠航の場合に穴を空けることはプロとしてしたくないということで、前日入りの交渉をやっていたのである。
その当時、大阪から新潟までの列車と言えば特急「雷鳥」で、距離は東京と大阪間より遠い580キロもあり、約7時間の列車の旅ということになる。
「主催者側に負担を掛けることはございません。講師は与えられた時間の1時間前には到着し、終了後から1時間のお付き合いはいたしますが、それ以外はすべて講師のプライベートタイムということも条件となります」
そんなやりとりの後、電話を切ってすぐに彼女と私のやりとりが始まった。
私の講演の開始時間は午後1時。雷鳥で行くとすれば、夜明け前に乗らなければならないが、ここでふたつの問題が出た。そんなに早く発車する雷鳥がないことと、長時間の乗車に耐えられないという私の我がままであった。
「では、前日の午後の雷鳥で新潟に行かれ、新潟のホテルで1泊というのは?」
それも遠慮したいもの。7時間以上も列車に乗っているのは苦痛であると伝えると、彼女が折衷案を出してきた。
「午後に新幹線で東京へ。東京のホテルで1泊。次の日の上越新幹線でいかがでしょう?」
先方の案内プリント作成にも関係し、早急に返事を伝えなければならず、取り敢えず、その行程で行くことになったが、先方から新しい注文が返ってきた。燕三条の駅で降車。迎えに参上するというのである。
そこで浮かんだ問題が、私と迎える側が顔見知りでないということ。それをどのようにクリアするべきかに移ったが、相手側は次のように応えてきた。
「間違いなく発見出来ます。プラカードでお名前を記し、改札口でお待ちいたしますよ」
燕三条がどんな駅か、さっぱり検討のつかない我々だったが、結論はそういうことで収まった。
さて、当日、東京のホテルを出て東京駅に向かい、上越新幹線に乗った。燕三条は新潟駅のひとつ手前の駅。列車がスピードを落とし駅に到着した。<会えるか>と心配していた私は驚いた。駅の回りは田や畑ばかり。この駅で降車したのは私を含めて3人だけ。
やがて改札口に向かうと、閑散とした構内に私の名前を書いた大きなプラカードを掲げた方がポツンと立っておられ、数人のお客さんや駅員さんの視線を浴び、本当に恥ずかしい思いをしたのである。