2025-03-21
あれかⓇ30年 NО 10165
30年前の今日、起床してニュースを観たら信じられない事件が起きていた。地下鉄サリン事件である。15分ほどチャンネルを回して着換えて出金したら、女性社員が先に出勤しており、彼女にサリン事件のことを伝えて「オウムの仕業だ」と断言すると、彼女は「それは失礼ですよ」と⒣んロンしてきた。
私の持論は戦争と宗教は人を変えると言うことで、あれだ開けのことを実行するには軍隊化した宗教組織しか考えられないと言うものだった。
その後にオウムの仕業という報道があったが、6000人以上の人達が負傷する前代未聞のテロ事件でもあった。
スタッフの彼女はパソコンに長けており、私が捜索するナレーションを聞きながら打ち込んでくれる貴重な存在で、彼女が休日になっている日は仕方なく私自身でデスクトップのコンピューターに打ち込むようになり、2か月ほどで打ち込めるようになった。
当時はナレーションが流行の兆しを見せており、導師の引導や表白の後に続いて始めるなんて誰にも発送できず、孫ンあことをするのは大阪でわたしだけとなっていた。
渡愛の捜索したナレーションは「命」「宗教」などを手^-魔にそうさくし、互助会で始まっていた虫食いタイプや美辞麗句とは別物だった。
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」など良寛様の句を用いたアリ、命の短さを「夏のせみ時雨」「春の淡雪」の用の表現して捜索していたので導師がお許しくださったはいけいもあったが、そんな事情を学ばない司会者達がナレーションをしようと打ち合わせをしても同氏がお許しになら中た出来事もあった。
「紅葉は葉の命の燃焼であると言われていますがなんて言葉で始めるナレーションんは短い時間で全国的に広まったが、商社が売りに来たカセットテープを聞いたら私自身の物が六ンされて販売されていた海賊版だったこともあった。
「思い起こせよ庭の花、心あるなら花を咲かせよ」という言葉が印象に残っている。
夕方、銭湯へ行ったらお気に入りの湯が「紫根」で、紫色の湯の香りがリラックス効果があるように感じた。