2015-02-04

ご仏縁から  NO 4094

昨夜のこと、この「独り言」を発信しようとネットを開けたら、「幸せ列車」の管理人さんからのメールが着信している。HPのアドレスが添付されていたので開けてびっくり。「各駅停車」のコラムで管理人さんが構築くださった10年前の今日の「独り言」に関係ある人物のブログのアドレスが添付されており、開いて見ると発信者が私との出会いに触れていた。

彼はまだ若いので、この世から出立するのは私が早いのは当たり前の話だが、内容を読みながら、この世に生を享け、宿命か天職のように従事するようになった葬儀という仕事の中で、彼のような純粋なプロに影響を与えていたことを再認識しながら、そこに「思い出が形見」となると嬉しく思った。

彼とのご仏縁があったのは葬儀業界向けの講演会からだったと記憶している。

東京で開催された大規模な業界のイベントだったが、多くの講座の中に私の担当する講演があり、関係者と喫茶店で軽食を食べていたら、館内放送が流れて「午後1時からの講演は満員が予想されています。入れないこともありますのでお早めに」と私の講演に関する案内があったが、400人ぐらい入れる会場だったのでそんなことはないと考えていた。

講演の始まる15分前に会場入り口の受付の所へ行ったら大混雑。受付を通らず中へ入ろうとすると入場券が必要ですと言われたが、「講師です」と言うと「失礼しました」と通してくれた。

舞台裏で担当者と打ち合わせを済ませ会場内を確認すると超満員。立見席までおられるのでびっくりしながらも申し訳ない思い。プロフィールの紹介が終わったところで客電を落とし、小鳥の囀りと川の流れの音から始まる静かな音楽が流れる中で登場。そんな旋律を耳にされたのは初めてという人ばかりと想像したが、曲名は仏教音楽の中の「迦稜頻伽(がりょうびんが)」で、会場空間を式場空間に神変させる目的で活用したものである。

{余談になるが、大阪府仏教会と大阪市仏教会が主催して行われた平洋戦争前物故者追悼式の時、四天王寺の五智光院の境内に仮設された舞台で舞楽が行われたが、この時の生演奏の舞曲も同じ曲だった。ご仏縁からプロデュースと司会を担当させていただいたが、奏楽や舞楽を担当される方々が30数名、読経を担当されたお寺様方が250名以上という大きな法要で、その日の夕方のニュース映像でも流れたので印象に残っている}

その時に冒頭で問い掛けた言葉が「1時間の式の司会をして疲れる人は?」という質問だったが、挙手をされた方は4人だけ。間髪入れずに「挙手をされた方がプロの司会者です」「1時間の司会で疲れていてどうするのだ!」と思われる方も多くおられるでしょうが、私は1時間の式を担当して終わると虚脱感に襲われるぐらい疲労感に襲われるのです。それが絶対にミスを犯したくないプロの信念ですと伝えたら意外だったようで、会場内がどよめいたことを憶えている。

葬儀が始まった。やがて導師が立ち上がられて焼香をされる。その時に香煙が漂ったら問題ないが、もしも火種が消えていたりしたら大変ではないか。そんな心配をしない司会者なら疲れないが、心配症なので私は疲れるのであり、そこに単なる進行係と司会者の違いがあるというのが持論である。

講演が終わって名刺交換の列が出来た。約40分の時間を要することになったが、最後に並んでおられたのが広島のピピの社長で、その後の久世塾で再会することになって今でもご仏縁が続いている。

塾の受講者に冒頭で伝えたのが「私に出会って幸せになる人もいるだろうが、不幸になってしまう人もいるかも?」ということだったが、第1回の講座が終わってそれぞれの地に帰った人達から「新幹線の中で不幸を感じました。明日からマイクを持って司会をする気にならないのです」とメールが届いた人物が、昨年の11月に我々夫婦を佐賀県の武雄温泉に招待をしてくれたので恐縮している。

さて、管理人さんがメールでお知らせくださったブログの内容だが、松山市で活躍しているベストワン、オンリーワンの葬儀社の専務だが、「清雅舎」の函館便りのページにリンクボタンがあることだけを紹介しておこう。

今日の写真は清雅舎のHP内にある法具と法衣の世界「空飛ぶ水冠」から「水冠」を。

そうそう。「清雅舎」の「函館便り」の右下にあるブログ「迷いの窓」だが、その中にも上述した「迦稜頻伽」という鳥のことが書かれていたことを記憶している。
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