2015-11-05

もう半世紀に  NO 4363

ホンダS600昨日「水曜日」はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは人生様々なシーンに流れる音楽の話題で、ヨーロッパでクラシックがオーケストラで演奏されている時代に我が国では江戸時代だった事実に驚いた。

前号で会長のコラムで名曲「誰もいない海」に触れたことを書いたが、この時期になると青春時代に出掛けた一人旅のことを思い出す。

別府から高速道路を通行せずに城島高原を通って由布院を過ぎ、やまなみハイウェイの方へしばらく走ると山下湖という美しい湖がある。昔、この湖畔に九重レークサイドホテルが存在していた。

開業したのは1965年だったが、その6年後に利用したことあるが、その時の夕食が「すき焼き」で関東風のようで「割り下」があったが、関西風しか知らなかったのでスタッフの方に質問したことを憶えている。

このホテルは1974年に発生した大きな地震で1階部分が崩壊してしまい、その後に新しく建てられたが、2000年代は九州電力が買い取って自社の保養所とホテル事業を併設していたみたいで、2007年頃に閉館してしまい、今では更地になっているそうで寂しくなった。

やまなみハイウェイが開通したのは1964年で、大阪環状線の駅のポスターで知って運転免許を取得したら走ってみたいなと思っていたが、熊本側から阿蘇一の宮を経て由布院の水分峠までの県道は、日本では珍しい景色の高原道路である。

初めて走ったのは1966年のこと、当時は有料で3箇所の料金所があったが、無料になったのは開通から30年後の1994年のこと。所用があって深夜に走行したこともあったが、ヘッドライトが照らす中に様々な動物が出て来たので怖かった。

当時に面白い交通表示看板があったことを憶えている。「ここは高速道路ではありません」というもので、制限速度をオーバーする車が多かったようだ。

車は前にも書いたようにホンダの「S600」のオープンカーで、熊本南署の近くにあったホンダのレンタカー会社で借り、内牧温泉と城島高原で宿泊をして別府で返却するスケジュールだった。

やまなみハイウェイを走ること、そしてホンダ「S600」に乗ることの二つに憧れていたのが一気に達成することになったので嬉しかったが、その時に別府の地獄めぐりをしたこともはっきりと憶えている。

随分昔のことだが、所用があって別府から熊本へレンタカーで走ったことがあった。その時に借りた車はブルーバードだったが、別府の奥の細い道で事故に遭ったことがある。それは川に架かった橋の部分が狭くなっており、対向車があればどちらかが譲るような場所だった。

橋は少し高くなっており両側が坂道になっていたので、前の車が擦れ違うことになったらバックして来ることを想定し、10メートルほど手前で停車していたのに、前の車が後方を確認せずにそのままぶつかって来てびっくりした。

レンタカーを返却する際に事情を説明したら保険が適用されるので免責の1万円だけを支払うことになり、その後に別府を訪れた際に聞いていた加害者の家を訪問したら、びっくりするほど多くの子供達が出て来て「こんな生活でお金がないのです」と泣かれてそのまま帰って来たこともあった。

幸い後遺症の出るような事故でなく軽い物損事故だったが、あの人物はどうしているのだろうかと時折に思い出すこともある。

今日の写真はホンダS600を。この車は2輪車と同じでチェーンで駆動するタイプだったので、ギアを入れてアクセルを踏み込むとリアが持ち上がったことを憶えている。
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