2005-06-07

塾の影響?  NO 1180


 早朝に立ち寄った喫茶店、顔馴染みの常連客がいっぱい。私の顔を見て話題が急変、シーンで行われるイベント論議が始まった。

 皆さんコンサートやカラオケ大会に来てくださっており、感想や今後のご希望などを拝聴して大いに参考になり有り難かった。

「初めて行った時は義理と興味本位、2回目からは自分の意思、3回目から嫁さんを伴い、そこから友達を次々に誘っている」

 そんな嬉しいお言葉もあったが、ご出演いただく方々のファンになったという人も多くて喜んでいる。

 午前中から気温が上がった大阪市内、北に向かって車を走らせる。あちこちで渋滞があったが、予定通りの時間に式場に到着した。

  3人の女性警備員に車を任せ、山門を入る。その時点ですべての準備が整っていたが、堂内の音響が要チェック。ご本山からの弔詞の際のマイクが遠い。いくら 特殊な集音マイクでも、ちょっと問題がある。そこで外に設置してある8本のスピーカーの1本を山門横に移動し、外から流せば堂内のフォローが可能。それで 場内スピーカーのハウリングを絞ることにした。

 堂内に関する儀式の司会進行はお寺様、代表者焼香から私にバトンタッチとなったが、どうしても儀式と時間ばかりが重視され、遺族の悲しみと参列者の存在が忘れられてしまうのが寺葬に多いパターン。そうならないようにスタッフのフォローを特別に命じていた。

 多くの会葬者の存在があったが、ゆったりとした流れで焼香が進められ、ご導師が退出された後に続いて喪主様の謝辞。僭越だったが、その謝辞のフォローで葬儀社なら絶対にしないであろうコメントを入れた。

 それは「命」ということについて書かれた言葉、私のバージョンで朗読申し上げた。

<葬儀屋風情が生意気に>という思いを抱かれたお寺さん達もおられただろうが、一人の方の「死」が教えてくれることは重くて大切なこと。そんな意義を私の日本語で伝達するところに意味があると考え実行した。

 内容については今月の久世塾で塾生達に教えるが、本気で葬儀に携わる人なら歓迎と賛同があると確信している。本音を言えば、耳にされたお寺様が「あの原稿をくれ」となれば葬儀が確実に変わると思っている。

 火葬場での焼香、お孫さん達の焼香作法がお見事。さすがにお寺様の子供達だと感じ入った。

 会社に戻ってお客様を迎える。コンサートの奏者お2人と打ち合わせ。もう年内いっぱいのスケジュールも仮押さえ。後はスケジュール調整ということになる。

 夕日を前にお通夜の式場へ。融通念仏宗独特の心地良いご読経を耳に時間が流れる。ご遺族と親戚さんの焼香が終わると弔問者だが、今日は特別バージョンで弔問者に挨拶。皆さんが頷かれて<なるほど!>というご表情。いつもと異なる焼香バージョンをご納得いただいた。

 あちこちの葬儀社を担当する警備会社の女性から「毎回、進め方が違いますね」と言われたが、「問題ある?」と問うと「大賛成、やさしいです」とニコッとした。

 私自身、最近の葬儀に対する思いが変化してきたよう。自分で言うとおかしいが、何やら「やさしく」なったみたい。それは塾生達の存在があるからかもしれないが、ちょっと「命」ということの解釈と理解が変わってきたとも言えるだろう。

 いよいよ「変なオジサン」モードで今日の号。結びに<HOME>接続は「空飛ぶ水冠」様。コラム「迷いの窓」が連載で更新されていた。ベルギーの話題、是非、ご訪問を。
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