2017-12-19

時の流れに  NО 8062

氷川丸冷え込みが厳しい。知覚障害の影響だろうか、手足や顔の冷たさが半端じゃなく、外へ出掛ける意欲も失せるこの頃である。

松居一代さんの離婚ニュースが昨日に報道されていた。彼女が和服姿である番組でご一緒したのはもう40年前のこと、当時に感じた上品さが消えてしまったようで残念な思いも。

「町村です」「どちらの町村さんですか?」「元官房長官の町村です」という数年前の電話で驚いたことも懐かしいが、町村氏はその後に衆議院議長に就任され体調を崩され亡くなられた。

わざわざお電話をくださったきっかけは私がしたためた手紙からだったが、「感銘を受けました。総理にも伝えましたから」と伺ってびっくりしたが、その後の総理の行動姿勢にその問題提起は表面化せず、金委員長から「トランプのポチ」と揶揄されているので残念である。

私が手紙に書いたのは「世界の警察ではなく日本は世界の救急車になるべき」というもので、何処かで天災が発生すれば迅速に駆け付ける体制を整えることと、高齢社会の到来で不足している火葬場対策として「火葬船」を建造するというものだった。

今日も千島列島や九州、四国近畿地方につながる断層帯の存在から大地震の危険性について発表されていたが、阪神淡路大震災や東日本大震災のようなことが起きないように手を合わせている。

体調がいよいよ深刻になって来た。温泉旅館に行って部屋の露天風呂に10回ほど入って温めたいと思っているが、外国人観光客の増加からか宿泊料金がびっくりするほど高くなっており、温泉の露天風呂付きの部屋なら二人で一泊10万円程度になるので大変だ。

過去に露天風呂付きなのに低料金だと予約して行ってみたら、大浴場は温泉だったが、部屋の風呂は温泉ではなかったので後悔したこともある。

出掛けてみて気が付くのは中国人旅行者が多いことと、女子会というのだろうか、若い女性達のグループ旅行が目立ち、スマホで撮影されているので立ち止まることを何度も体験している。

ここからは「幸せ列車」から「10年前の独り言」から転載を。

祈りの姿から  NO 2067   2007-12-18

今日の銭湯は賑やかだった。忘年会帰りだろうか、建設会社らしい若者達がいっぱい。耳に入る彼らの会話に若いパワーを感じてきた。

ブルーの湯の中で半身浴、黙想するような姿勢でいると何とも言えない心地良さ。そこにリラックスの世界に包まれる自分があり、シャワーや湯を被る音も気持ちよく聞こえて来る。

啄木ではないが、じっと手を見ると<あれっ!?>ということに気付いた。左の腕に小さく変色しているところが2箇所ある。それは過日に受けた風邪の点滴の跡。少し洩れていたようだった。

佐世保の事件、献花用の机にいっぱい花が供えられている。そこで多くの人達が手を合わせて祈っている光景があったが、他人のために手を合わす姿は美しいもの。

もうすぐ新年を迎えるが、神社仏閣での初詣。そこで自身の入試や就職試験の合格を祈る人もいるだろうし、一方に他人の病気の快方を祈る人もあるだろう。

一日の終わりに無事故でしたと感謝をし、一日の始まりに無事故でありますようにと祈る姿勢も素晴らしいこと。人生とは始まりと終わりがあるが、すべては1日の「積み」重ね。それが「罪重ね」にならないようにありたいもの。

通夜や葬儀で手を合わせる姿を目にするが、それは故人の冥福や残される遺族の幸せを祈るもので美しい光景である筈。

浄土真宗系で「永眠」「冥福」「祈る」なんて言葉は避けるべきだが、配達されて来る弔電の大半に「ご冥福」という言葉があって気を遣い、中には「浄土真宗の言葉で表現を変えるように」とご指導を受け」「お浄土へとご往生」「お念仏にてお偲び申し上げましょう」で、喪主さん側のご了解を得てからそうするケース が日本のあちこちで行われていることも知りたいもの。

この弔電に関する問題は、その地の慣習によって左右され、正に司会者泣かせの代物として難渋しているひとつである。

「導師が下がってから」「導師の入場前に」など、式次第での組み込みも地域性によってはバラバラで、時には到着した数百通のすべてを代読しなければならない地域もあるから大変だ。

時代がどんどん進化している。無駄を省こうという社会の潮流の中、お通夜や葬儀で改革をすべきことは山ほどあるが、どんな時代になっても、「大切な方を喪った」際の悲しみに変化はないことだけは忘れないように考えたい。

今日の写真は横浜に係留されている「氷川丸」だが、かつては病院船として活用されていた歴史もある。
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