2003-11-03

葬儀と音楽    NO 594

多様化、個性化ニーズというのだろうか、他人任せや業者任せから、ご自分やご家族で考えられる葬儀が多くなり、我々への事前相談が増えている。

 葬儀に関するネット情報を調べていると、今や「何でもあり」の形相。我々や宗教者に対する不満や抵抗感が溢れ、それらを「世直し」というイメージを売り物にしたビジネスに結び付けている団体も少なくない。

 自由葬、無宗教、家族葬、音楽葬、散骨などの文字が山ほど登場し、それらは業者だけではなく、消費者側からの発信にも多く見られる。

 これらについて偉そうなことを書くと、それこそ3年や5年の月日が必要となり省略するが、私が体験したことがヒントになればとの思いを託し、ここに葬儀の音楽についてしたためる。

 最近、葬儀に音楽が使用されることが当たり前になってきた。宗教形式で行われる葬儀にあっても、弔辞や弔電代読のBGMが流れるし、葬祭式場では、開式前にBGMが流れていないところなんてない現状だろう。

 葬儀に使用される音楽は、その葬儀を担当する葬儀社の感性ですべてが決まるということになり、現場責任者と司会者が好みの曲を使っているケースが多く、経営者である社長が音楽の選曲を指定するなんて稀なこと。

 電子オルガンやシンセサイザーの生演奏を行うことも多いが、選曲は奏者任せ。それでは、ただ式場に音楽が流れているだけという寂しい現実で、そこに生まれる筈の「相乗効果」なんて期待は出来ないことになる。

 神道に祝詞の「奏上」という言葉があるが、音楽の活用による「相乗」はまさしく「奏上」でなければならず、単なるBGMでは「葬場」に相応しくなくなってしまう。

 私が選曲する場合、故人の生きられた人生の歴史を年表から調べ上げ、時代と共に流れていた音楽を調査する。中でも最も重視するのが「献奏曲」。この曲をどこかでお耳にされた時、故人のことを思い出して・・・

 そんな司会トークは「思い出を形見に」という弊社の企業理念のひとつから。また、故人の「愛唱曲」もあるだろうし、「献奏曲」でも、家族から、孫たちから、友人たちからと広げてみれば意義も生まれることだろう。

 ただ、ブライダルの披露宴にも同じことが言えるが、特別ゲストに音楽家が出席され、その方の演奏を願った場合、出席者の大半がご存知の曲を選曲いただきたいもの。どんな名曲でも、奏者しか知らないということは「迷曲」となってしまうのである。

 また、時にはワンコーラス、時にはメドレーというように、奏者が導師となって、音楽を「お経」の代行ぐらいに意識して真剣に演奏いただければ有難く、何より葬送での音楽の意義が生まれると思っている。

 さて、昨日にも書いたが、司会者教則本「温故知新」に関して、オリジナル葬送音楽CD「慈曲」に対する要望も多くて困っている。

  販売しないから「付加価値」が生まれているのかも知れないが、この中に収録された10曲を使いこなすのは簡単ではない。作曲コンセプトには、「死の受け入 れ」や「遺族を励ます」という曲もあり、司会能力と共にプロデュースのセンスが求められてくる。音楽とは奥深い世界があるものだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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