2004-10-29

香りに学んで   NO 958


 福祉の葬儀を担当しているスタッフから電話、「朗報です」と言ったので<何事?>と思ったら、立派な市立斎場の式場使用料が無料という報告だった。

 大阪市が規定した福祉葬儀、お寺さんのお布施もきっとりと定められているが、我々業者に規定内容の資料の配布はあるが、<宗教者の皆さんにも配布されているの?>との疑問を常々抱いている。

 今回に導師をおつとめくださるお寺様はやさしいお方、「しっかりとお供養しましょう」とのお言葉を賜ったが、過去に何度も辛い思いをした出来事もあった。

 「私が導師となれば、最低10万円以上です」という冷たいお言葉に、ご遺族が悲しんでおられる光景を見たこともあるし、規定金額のお布施を受け取られ、その同金額をお供えとしてお出しになったお方もあった。

 世の中、まさに様々。素晴らしい宗教者との出会いは私にとって有り難い「ご仏縁」。そんな方々との交流が何より嬉しいところだが、過日に書いた「檀家を辞めて、お寺を替えたい」要望が増えた時代、都会のお寺の将来に危機感を抱くのは私だけではないだろう。

 現在57歳の私、お寺の若住職とお会いすることも多いが、先代住職さんからの言伝で説教をしてしまうことも多くある。

 初めて会った若い導師さん、お通夜にお布施を書き出したものを手渡され「喪主に渡してくれ」ということがあった。

 封筒に入れる配慮もなく、1枚の便箋に枕経から満中陰までの項目が価格表の如く書き込まれ、<これで人生最期の大切な儀式を司る導師?>と憤慨し、「衣が導師をつとめるような行為をされるべきでない」と説教した。

 そんな気質な私の性格、決して「堅気」な人間ではないが高血圧の持病からか、すぐに怒りモードのギア・チェンジに向かってしまう。そんなところから所謂「悪いお寺さん」からは確実に嫌われている。

 担当スタッフから「我々のことも考えてくださいよ」なんて言葉も出てくるが、「その内、お寺を替えたいとおっしゃるだろう」と返しておくと、その大半がそうなるのも現実。

 最近は、そのスピードが早く満中陰まで持たないケースもあり、初七日が終わってすぐにお電話を頂戴したこともあった。

 本山を別として、町の中のお寺という建物に人が心を寄せるのではなく、住職という人物に人が集まる時代となっているような気がする。

 宗派を超越され、大勢の人々が集ってくるお寺も存在する。

宗教とは? 命とは? 生きるって? そんなことを真剣に考える最近の私の「心の変化」に自身で驚いている。

 毎朝通る自宅近所のお地蔵さん、いつもきれいに掃除がされており、今日は「お線香」の香りが漂っていた。こんなところに<宗教の原点が?>と思った瞬間だった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net