2003-11-11

重いひとこと    N0 602

ファクシミリに唐突な宣伝広告が入って来ることがあるが、それらはメールにも増えてきている。

 そんな中に、「今後、受信を希望されない場合は、その旨を返信ください」という、とんでもなく失礼な表記がされていたのが数通あった。

 こんな会社を経営される社長の顔が見たいと思うが、話をしたいとは絶対に思わない。

 夜の9時や10時に営業の電話が掛かってくることもある。それらの大半が「社長をお願いします」と言うそうだが、中には、私と友人関係にあるようなニュアンスで騙すという悪質なケースもある。

 今や世の中何でも有りの様相。礼節と羞恥心の欠如した会社も社会も最悪。それらを顕著に物語るような犯罪も増えている。

 高齢者を巻き込んだ「オレオレ」詐欺なんて許せないし、引ったくりの被害で打ち所が悪く、亡くなったという事件の報道に怒りが込み上げてきた。

 我が大阪は、引ったくりの多い町。中でも私の住む生野区が群を抜いているとも言われたが、最近、地域の防犯姿勢と警察の協力で激減していると聞いた。

 先日、両親を殺傷したという事件が報じられていたが、こんな葬儀は最悪。喪主を務めなければならない立場の方が入院中。どんな思いでベッドにおられるのだろうか。そこで去来されるご胸中を察すると余りあるものがある。

 15000人の方の葬儀で司会を担当し、その内の約半数の方を火葬場までお見送りしたが、不幸や悲しみに接していると誰より「命」の尊さを感じるもの。

 昔、何かのしがらみで小学校のPTA会長を4年つとめたが、当時にご一緒させていただいた2代の校長先生と、「死」の教育の欠落で将来を危惧することで一致していた。

 その先生は、今やお二人ともお浄土の人。「それ見たことか」と、この世の現状を悲しんでおられることと拝察する。

 家庭に神棚や仏壇があるという家が少なくなっているようだ。葬儀の依頼があって参上すると、それらを強く感じることになる。

 宗教の是非について書く立場にはないが、命、死、悲しみについては語れる経験をしているつもり。家庭教育に併せ、学校教育に於ける「歪み」だけは考えたいもの。

 当協会のメンバー掲示板に、看取る人のいない患者さんや見舞いの来ない患者さんの存在に憂いを感じる看護師さんの刹那さが書かれていたが、それに対して答えた専門家の次の「ひとこと」が印象に残った。

 「人は、生きたようにしか看護をされない」

 その言葉には重い意味がある。そして、それは、上述のことに大きく関係する問題であるような気がしてならない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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