2007-06-15

感傷的に?  NO 1890


「MAMADIARY」という塾生の今日のブログで「金子みすゞ」さんの詩に触れていた。新人の頃に式場で供花をひっくり返すミスで学んだことが書かれ、その時の当事者のご逝去に送る言葉として彼女の詩を書かれていた。

 一週間ほど前、ある会合で「金子みすゞ」さんのことが話題になり、いつか山口県長門市にある記念館に行きたいという声が上がっていたが、最近、無性にそこを訪れてみたい心情になっている私である。

 過去に何度か書いた「金子みすゞ」さんのことだが、私が初めて彼女の詩を目にして深く感銘を受けたのは20代の頃だった。

「大漁」という作品の中の「とむらひ」という言葉が目に留まり、こんなに客観的な視線で物事を捉えて詩にするなんてと衝撃を受け、現在の葬祭業という仕事の中で大きな影響を与えられた人物でもある。

 彼女の作品をあちこちで読んだが、不思議なご仏縁から、あるお寺さんがプレゼントくださった「プレジデント」という雑誌で彼女の特集記事を読み、崇拝の色を強めた歴史もあり懐かしい限りだ。

さて、そんなところからも、葬儀の中でのナレーションとは、決して美辞麗句に捉われることなく「命」「愛」「宗教」などを中心として考えるべきで、参列される方々に何を伝えるべきかを重視したいものである。

 参列者には故人を「知る人」と「知らない人」の存在があるが、その両者に大切なことをと考えれば上記の3テーマがキーワードになるだろう。

 故人がご自身の死で送りゆく人達に「生かされている」ことを教えてくれているというのも重要だろうし、送りゆくあなたも何れこの日を迎えるということを知っていただくことも葬儀の意義である。

それらはナレーションだけではなく、進行に関するコメントにあっても大切にしたいもので、開式前の案内、宗教者入場時、開式の辞、弔電代読前、宗教者退出時、そして謝辞のフォローに活用する意識を持して研鑽して欲しいと願っている。

 セミナーなどで「宗教の活用方法は?」という質問も多いが、その宗教の死生観を語るには余程の研鑽と修行を積まなくては僭越となり、初歩的な部分から始めなさいと教えている。

 例えば日蓮大聖人のご誕生日、その日に日蓮宗系のお通夜や葬儀があれば、その事実を伝えるだけでも意義が生まれるだろうし、各宗派の開祖の誕生日を知るだけでも葬送の場につながるコメントが創作できることになるだろう。

 そんなことを書きながら、この「独り言」を発信してからナレーションを創作するが、ふと調べてみれば、今日は「弘法大師」のご誕生日。そこで真言宗の葬儀の方は四国路のお遍路バージョンを基本に創作しようと考えたが、真言宗でないご葬儀の方をどうするか思案中。

 その真言宗だが、前述した「進行」コメントで焼香の意味をご案内するのもよいだろう。回数説明をされる司会者の方は多いが、その意味について話す人は少ないようだ。

そうそう「ついで」の話で恐縮だが、「ご会葬がご多数ですので『一回焼香』で」と促す司会者もいるが、これは司会者失格、三流と呼ばれるレベル。大袈裟に分析すれば宗教の弾圧と強制につながる失礼極まりない問題であり、絶対に発する言葉ではないと知って欲しいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net