2007-06-12

嫌いな言葉  NO 1887


 朝からいつもの喫茶店でモーニング・コーヒーを。「こちら、モーニング・サービスになりま~す」と、お兄ちゃんの不思議な日本語。帰り際、レジで350円を差し出すと、「丁度でお預かりとなりま~す」と言われて<!?・・・>となった。

 このお兄ちゃん、如何にも人の良さそうな感じだが、きっとマニュアルの厳しい店舗で過去に働いた経験があるのだろうと想像した。

 職場によって独特のイントネーションを感じる世界がある。デパート内でのアナウンス、空港内でのアナウンスなどを思い出されたらご理解いただけるだろうが、なんであんなに変なムードで喋っているの?と不思議な思いを感じてしまう。

 交流する場で私が葬儀の司会をすると知られると、「ああ、あの独特の言い回し」なんて言葉が返ってくることも多いが、私のオシャベリは極めて自然だと自負している。

もちろん「司会」ではなく「司式」バージョンとなると特別な世界となるが、それでも「言い回し」と言われるようなイントネーションではない筈である。

  上述の「独特の言い回し」とは、古い時代の葬儀の司会にあったことは確か。おかしな文語調で語っていた人物も存在したし、「**殿――!」と言う絶叫タイ プや、あたり触らず「天王寺方面行き、入ります」というようなイメージの駅構内アナウンス型などから「泣き節」を売り物にされる人まで混在していた歴史が ある。

 そんな中でアナウンサー型として登場したのが私の形式、今は、それが全国的に主流になったのだが、我が大阪では未だに不思議なオシャベリ形式が残っているのも事実である。

 さて、そんな葬儀の司会をしながら思い出したのが年金問題の腹立たしさ。<果たして大丈夫なの?>と疑問を抱きながら毎日のニュースで目にする事実は、信じられないほど杜撰な社会保険庁の内部構造だった。

  加入者の氏名の入力、そこで担当者の勝手な思い込みで掛け金が何処かへ消えるという問題も多いよう。私の姓「久世」も「くせ」「くぜ」「きゅうせ」「ひさ せ」「ひさよ」と読めるし、ルビを無視して入力されている可能性も高く、落ち着いたら確認に行ってみようと思っている。

 我々司会者の仕 事でも横着な行動は「命取り」になる。焼香順位の読み上げや弔電代読の際にご芳名を誤ったら大変。そこでご家族や親戚の方々に確認をするのだが、大企業の 場合は社長や役員の名前の読み方不明ということも日常茶飯事。そこでご遺族の要望から社名と肩書きだけとか苗字のみ代読という不思議な対応もあるし、私が 得意とする「誤魔化しテクニック」でモジャモジャと通過することになるわけだ。

 もうひとつ腹立たしいことがニュースで報じられている。介護ビジネスのコムスン事件だが、誰にも訪れる重要な問題をそもそも「ビジネス」と発想する姿勢が間違っており、それらは我が葬祭業界でも同じである。

20世紀を迎える少し前頃から「葬祭ビジネス」という言葉が出てきたが、私の性分に絶対に合わない言葉で、弊社が加盟する協会のメンバーや塾生達も同じ考えを共有し、悲しみの理解と「少しでも不幸でないひととき」を重視しながらプロの仕事として取り組んでいる。

 介護と葬祭、そこに共通する大切な言葉は「愛」であろう。「愛で飯が食えるか!」なんて反論も多いだろうが、仲間達は間違いなく「愛」で仕事が成り立っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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