2004-11-11

形見分け  NO 971


 大阪は久し振りの雨、式場に向かうスタッフ達に「気をつけて」と送り出し、朝から手紙を書いていた。

 「主人の愛用のものです」と、担当させていただいたご葬儀の喪主様から「パター」を「形見」として頂戴し、その御礼を書いて投函した。

 届けてくださった方ともラウンドをご一緒したことがあり、年に数回のゴルフだが、必ず伴って「お供養」のパッティングとしたいと思っている。

 昔、有名な「釣り名人」と呼ばれる方の葬儀を担当し、数日後にびっくりする高価な「へらブナ」用の竹竿を頂戴したことがあった。

 わざわざ自宅にまでやって来てくださった喪主さん、「殺生につながるものですが?」と出された袋入りの名竿、すぐに使わせていただきたかったが、一周忌を迎えてから初めて手にした思い出もある。

  形見分けとは重要なもの。ご遺族が故人のことを思い出しながら、そのひとつひとつを誰かにプレゼントされる。そこで「あの人なら」とキャスティングされた ら重責が生じる。生涯大切にしなければならないだけではなく、それを継承してくれる家族にドラマを伝えることも忘れたくないもの。

 自分の部屋を見渡すと様々なものが存在しているし、そのひとつひとつに自分だけの思い出がある筈。ゴルフコンペの集合写真一枚にも、その日の天気から成績まで甦ってくるが、思い出せるということは<まだまだボケていないかな?>との思いも。

 記憶が遠く薄らいでくることは寂しいこと。これから与えられる時間で、いっぱい素晴らしい思い出を刻みたい。

 そんなところで九州の女性司会者さん発信の「MAMADIARY」を訪問すると、掲示板に日本トータライフ協会のコラム「有為転変」の1000号おめでとうと書いてくださっていた。

 また、彼女が日記風に綴られるページに「七万歩才あの世の旅」を完読くださったともあった。

恥ずかしいやら、有り難いやらの心境をひとつにまとめ、ただ「有り難う、ご苦労様」とご仏縁に手を合わす。 

 小説「お葬式はハプニングに乗って」が入手出来ず「増刷を」との表記もあったが、もう20年前に書いたもの。それこそ羞恥の「証し」と考えている。

 ハプニングの主人公は「あの世の旅」と同じ「水野幸純」で、葬儀に於ける様々なハプニングに対応する葬儀社内を中心に描いた小説だが、発刊してから3ヶ月間、仏事関係出版物のベストセラー第一位になっていた。

 様々な道楽の中で著書というものは贅沢な世界かも。両愚書が大きく新聞記事に載り、<どこに置かれているかな?>と大きな書店を覗いたら、「新聞記事にあった本です」というコーナーにあってびっくりした思い出もある。

 フィクションだったら何でも書けるものではない。自分の仕事を題材にすることには限界がある。私が現役を去り、引退したら何を書き出すか分からないが、それは間違いなくノン・フィクションだろう。

 しかし、この独り言のように<ボタンひとつで削除出来たらいいのに>と思うのが著書に伴う悩み。「書く」ことは、やはり恥を「掻く」ことである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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