2006-06-12

偸安の世?  NO 1533


 北海道のメンバーから宅配便が。大きなケースを開けたらラベンダーと可愛いスズランの鉢植え。過日にメールで術後の心配をいただき「手配をいたしました」と恵贈くださったものが届いて恐縮。北に向かって手を合わせ、取り敢えずこの「独り言」で御礼を申し上げる。

  また、東京の塾生からもプレゼントが。泣かせる手紙に添えられてあったのが一冊の本、「子どもに死という非常にデリケートな問題を教えるためにもこの本は 秀逸である」とポローニャ児童賞国際審査委員会の推薦文が帯に入ったもの、菊田まりこさん著「いつでも会える」であった。

 一匹の犬と亡くなった少女の物語りだが、「お孫さんに」という一文が彼女らしくて嬉しかった。

 昨秋に名古屋で会った際にシンデレラの塗り絵を頂戴し、アメリカに在住していた孫に送ったが、その孫も帰国して「ひらがな」を読めるようになっているので早速郵送することにした。

 別れとは寂しいものである。死別とは「悲しみ」という名の重荷を背負って日々を暮らすことになるが、それは途轍もなく辛苦を伴い、体験した人にしか理解出来ない世界であると分析されている。

 周囲の人に出来ることは共に悲しむこと。そして悲嘆にくれられる人の話を聴き、故人の思い出話をすることだが、時にはそっと独りにしてあげることも大切。それらはホスピタリティの究極的心情で接する難しいことだと言えるだろう。

 弊社が加盟する協会のメンバーや塾生達は、みんなでそんなことを研鑽してきている。だから誰にも「やさしさ」が感じられるのだが、どこかの株屋さんみたいに「プロ中のプロ」という考えを抱くものは誰一人していないだろう。

 何度も書いたように我々の仕事は礼節なくして成り立たない世界、だから謙虚であるべきという結論に至る。

 地球上に多くの宗教の存在があり信仰の姿がある。それらは人間が死を迎える事実を知ったから形成されてきたものだろう。

「な す術もなく」という言葉があるが、死に対して「術」として生まれたのが宗教とも言えるだろうし、その行動の中で「生」を説くことになったのかもしれず、そ んなところから我々の仕事は「少しでも悲しくないように」と和らげをプレゼントする術を持さねばならないことになる。

 瀬戸内寂静さんがよく仰る言葉に「忘己利他」というのがある。読んで字の如くで意味がお解かりだろうが、「もうこりた」という語呂合わせ調な部分からも好きな言葉で、どこかの毒舌占いオバサンに聞かせたい思いがする。

 テレビ番組とは、礼節、謙虚を無視すると視聴率が高いよう。そんな現実から我が日本が美徳としてきた「品」の欠如が寂しいところだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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