2007-03-26

裏話ですが?  NO 1817


 過日に我が大阪の四天王寺のことを書いていたが、今日は聖徳太子にゆかり深い四天王寺についてちょっと触れさせていただく。

「和を以って貴しと為す」「深く三宝を敬え」などで有名な17条憲法を制定された聖徳太子だが、他府県から訪れた方々が「どうしてお寺に鳥居があるの?」という疑問を抱かれることがある。それらについてはネットの中でいっぱい情報があるので省くことにする。

「亀の池」の近くに経木を水に流す「亀井堂」という存在があるが、そこに置かれた木製の賽銭箱に刻まれた文字には「安政」とあり、それだけでも普通じゃない世界がこのお寺にはあるのである。

 私が興味を抱いたのは四天王寺学園側の一角にある無縁塚、そこに詰まれた墓石を順に確認してみると昭和30年代から50年代のものも存在しており、どんな事情があったのだろうかと、背景にあった不可思議である筈の歴史を勝手に想像してしまうのである。

 また、亀の池の東側に行くと小さな像が鎮座されたお堂があるが、その中に祀られた太子の像の手には大工さん達が用いられる「曲尺(かねじゃく)」があり、その堂に付けられた名称は「番匠堂」となっている。

 寺院や仏閣を建造された人々が尊崇された存在が「太子」ということになるそうで、それらを「番匠(ばんしょう)」と称していた歴史があるという。

 私の仕事に最も「つながり」深いものが西門の鳥居から東へ入ったすぐところにある。確か「太子の引導鐘」と呼ばれていた筈だが、昔にメモしてきた資料をひも解いてみると次のようにあった。

「引 導とは釈尊が『生者必滅』『会者定離』の人生無常の迷いの世界より人々を究極の悟りの世界へと導かれたことに始まり、その引導の教えは四天王寺西門から始 まった彼岸信仰と彼岸中日に夕陽を拝する日想観(じっそうかん)によって興隆した浄土信仰の中に結実し、臨終に際して諸佛、諸菩薩の聖衆(しょうじゅ)が 来迎し、極楽浄土にお導きくださる信仰を生んだ太子信仰と西門信仰を結ぶ重要な霊跡」

 この「霊跡」という言葉に興味を抱いたのは、その鐘を祀ってある一角が石で作られ「霊石」という文字が書かれてあったこともあり、故事録によれば、葬送の時、しばらく西門の前に柩を安置し、この太子の引導鐘を3回撞くと安養浄土へと導かれるそうだ。

 その霊石の横にあった立て札には「聖徳太子影向(ようごう)引導石縁起」と書かれ、ご宝号は「南無聖徳太子救世菩薩」、ご真言は「おんばらだはんどめいうん」とあった。

  そこを過ぎて東に進むと大きな「西大門」が存在している。文献によると593年に創建され、火災などで消滅してしまったものだが、昭和37年に松下幸之助 氏が寄贈再建されたもので、極楽浄土の「東門」に当たる存在と言われ、西門の石鳥居の中心に沈む夕陽を眺めるという「日想観(じっそうかん)」につながる 極楽門として重要な創建物となっている。

 四天王寺を参拝されたらお勧めなのが本坊の東側にある庭園、確か300円の見学料が必要だったと思うが、極楽浄土をかたちどった見事な庭となっている。

  私は、観光地に行った際、内緒話だが悪いことを実行していることので打ち明けよう。神社仏閣に行った場合、観光バスでやってきた団体旅行の皆さんに混じっ て着いて行くのである。そこでバスガイドさんのアナウンスを聞いていると大変参考になんるからだが、こんな行為なら手を合わせるだけで許していただけるだ ろうと思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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