2023-09-25

死ぬまでに  NO 10030

種田山頭火山陽新幹線の山口駅のロータリーには種田山頭火の銅像が立っていますが、先崎には金子みすゞ記念館があるし、山口県には詩や歌を詠む人達が多いようだ。

知られる「中原中也」もそうで、何度か行ったことのある湯田温泉の地に生まれた彼は幼い子供を亡くしてから精神的に病むようになり、30歳でこの世を去ってしまったが、彼の残した多くの詩は知られており、多くのファンの存在がある。

私が宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を知ったのは小ガッコ王の5,6年生の時の担任の先生が教えてくれたもので、すっと印象に残っているが宮沢賢治も看病していた妹を亡くしてしまってから人生観が変化し、その後の詩に大きな変化が表れている。

お父さんが熱心な浄土真宗の門徒で、彼も信仰していたが、何かのきっかけで法華経に出会い、のめりこんで行った歴史があった。

亡くなった彼の妹は彼の宗教観のよき理解者でもあったが、夢イな銀河鉄道の夜の作品は、妹の死に大きく関係している説が語られている。

私が葬儀と言う仕事に従事してから一度だけ「国柱会」の信者さんの葬儀を担当したことがあった。当時は30代で現在のようにネットもなく、宗教を調べる術もなく、「国柱」という文字から勝手に神道だと思い込んでいたが、お通夜にやって来られた方々の唱えられる「お題目」から日蓮宗系と言うことが判明し、蔵書の中から資料を調べたら日蓮上人につながる信仰で、「宮沢賢治」も信仰されていたことを知った。

宮沢賢治を採り上げた番組を何度か観たが、彼が童話の作品を多く発表されていたこと知った。

冒頭に触れた担任の先生が「人間は間違いなく死ぬが、死なないことが一つある」と言われ、ずっと気になっていたが、1か月ほど経った時に先制がその解答を教えてくださったが、それは「生まれないこと」だった。


先制は「雨にも負けず」だけではなく、多くの宮沢賢治の作品を読み込まれていただろうと想像するが、人生にあって人との出会いはその後の人生に大きな影響を与えてくれるもので、その先生もその一人であった。

先制のご臭味は音楽と音響で、夏鵜休みに日本橋に行かれて学校の放送設備を全てセッティングされ、放送室も設置され、私も放送係の一員だった。

給食の時間に早く食べ終わって放送室へ行き、好きなレコードを流すのが楽しみだったが、先生のお好きなクラシックばかりだったことを憶えている。

ある授業の一環で、講堂に集まり、電蓄からクラシック音楽を流され、この曲のイメージで物語を作れと言うものだったが、それは「チャイコフスキー」の「白鳥の湖」で、知らない曲だったのに、王子様とお姫様の物語を書いたら、先生から「この曲を知っていたのか?」と問われたが、「初めて聞きました」と答えると驚かれたこともあった。

先制の影響が及んだみたいで、同級生の中にシャープの液晶やペン型のパソコン茶道を開発した人物もいたし、松下電器が害規模なリストラを始めた際の総責任者となった人物も同級生だった。

彼らとは年賀状のやり取りをしていたが、今でも健在なのだろうかと気に掛かる。

先制は数年前にご逝去されたが、過去にご自宅へお父さんのお通夜に行ったことがあり奈良県の方角に向かって手を合わせた。

アルツハイマーの薬が国内で承認されたニュースがあった。昨日の夜の外国の医療ドラマで高齢の男性患者が次の日にあるテストが想定され、早く歩けたらアルツハイマーで、ゆっくり歩けたら認知症という設定があり、どちらでもなく、娘が服用させ板薬の影響と判明したストーリーだったが、こんなテスト受けるようにはなりたくないものだ。

ダークダックスで低音パートを担当されていた遠山一さんが93歳で亡くなられたニュースがあった。若かりし頃彼らの大ファンでフェスティバルホールの公演に行ったことも懐かしいが、4人のメンバーがおられなくなった事実の寂しくなった。

夕方のニュースで阪神電鉄元町駅の地下にある日本最古の地下街「有楽」が今月いっぱいで閉業すると言う報道があった。開業はわたしの誕生念で76年前だそうだ。月日の流れは速いもので、気が付けば76歳になっていた。

前述のダークダックスの記念館に行きたかったが「古関祐爾さん」の記念館と「サトウハチロー」さんの記念館と共に死ぬまでに行きたいと願っている。


い週間ほど前に我が家のごみ袋がカラスにやられて散らばっていると書いたが、今日もひどく荒らされており、それが近所をうろうろする野良猫の仕業と判明し、今日来宅してくれたヘルパーさんに対処を相談した。

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