2020-10-13

ミステリー  NO 8647

朝から変な電話が掛かってきた。妻が対応知ったのを横で聞いていたが、我々夫婦が口座を開設している信用金庫からで、「ご主人さ宛の年賀状が当行にあるのです」とのことで、妻が出向いて貰って来たが、2017年の年賀状で、会社名、会長と私の名前が書かれ、相手さんは
尼崎市の園田競馬場に隣接する住宅にお住まいの人物で、広告会社の社長さんであり、ご家族の葬儀をご自宅で担当したことを憶えている。

大手の素麺会社の専属の広告会社で、何処で知り合ったかははっきりと記憶はないが、ラジオの出演依頼を持って来てくれたこともあり、仕事以外でも交流があった。

ある時に来社され、読売新聞の広告で1ページが空いてしまい破格の予算で広告の出稿を依頼された。

当時の弊社が新聞の1ページ広告を出すなんて驚きの話だが、これも何かの「ご縁」だと思って掲載することにし、司会のフレーズに語っていたオリジナルの原稿から文章を引き出し、完全なイメージ広告をデザインしたが、想像もしなかった反響があり、そこから想定外の仕事をすることになった思い出も懐かしい。

新聞広告は何度かしていたが、日経の場合は中小企業の場合は会社の謄本などの提出を求められることもあったが、そんな日経から「広告をお願いします」と逆に言われるようになったことも面白い変化だった。

日経紙にホテル葬の広告を掲載したら、その日の夕方にホテル葬の依頼があって驚いたこともあったが、これも「ご仏縁」なのだろうと思っている。


それは暑い夏の季節の出来事だった。ご逝去された会長さんの密葬から戻られた役員さん達が社葬を考えられた際に全国からの会葬者のことを考慮され、風雨に左右されない全天候型のホテル空間の存在を知られたようで、次の日に会社に参上して総務部長さんと打ち合わせをしたことも憶えているが、お寺さんが明石の方で、打ち合わせに何度か参上したことも懐かしい。

当時は新聞の黒枠広告で日程を告知することも少なくなく、前述の広告会社に依頼したことも何度かあったが、1紙に掲載すると他社からの掲載依頼の電話が多かったのも憶えている。

振り返ってみれば北海道から九州まで全国各地で大規模葬のプロデュースや司会を担当した歴史があるが、その大半が密葬を担当された地元の同業者さんからの依頼で、誰もが知られる大企業の合同葬もあった。

そんな葬儀を担当すると、参列されておられた方々からの問い合わせも増え、何度か担当することになったこともある。

自分専用の音響設備が重要だったので、車に機材を載せて車で出掛けたことも多いが、スケジュールの都合で深夜に到着したことも少なくなく、式場の音響設備を確認したら不足するケーが多く、そんな体験から車のトランクや後部座席にも満載するようになった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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