2024-01-24

衝撃  NO- 10088

数年前の正月の3日に突然帯状疱疹が発症し、医院は休診だし大きな病院の救急外来にでもと考えたが、ネットで情報を調べると温めるとよい」とあったので、妻を伴って九州の温泉へ行くことにし、まずは「平山温泉 湯の蔵」へ行った。各部屋に広い露天風呂が付いているので何度も入れるし、10回位入った。

次の日、新大牟田駅から「つばめ」を利用し、熊本駅に行き、駅の近くに在住する友人の家へ行って食事を呼ばれ、熊本新港まで送って貰った御。島原へ渡って雲仙の「宮崎旅館」に行ったが、この旅館を利用したのは初めてのことだった。

その時に聞いていた携帯電話の番号に掛けたら奥さんが出られ「もうあまり時間がない」と言われたのでびっくり。妻が昨年12月の17日に亡くなったことを伝えたら、友人んが自宅で寂しい思いをしているから固定電話へ掛けて欲しいと言われ、掛けたら友人が出て奥さんが随分と悪いことを知った。

夫妻はかつて私の自宅近くで喫茶レストランを営業され、私のゴルフの師匠でもあったが、私が大病を患って退院した頃に奥さんの病気が見つかり、故郷へ帰ってビールとゴルフを楽しむ」と戻られた歴史があった。

帰られる前に伊勢神宮へ参拝し、鳥羽のシーサイドホテルに宿泊したが、大浴場に入っていた時に友人から「妻の誕生日なんだ」と教えられ、先に上がって売店の電話でフロントにつないで貰い、食事の時にシャンパンをと頼んだ。

そして食どころで4人の会食があったが、シャンパンがなくワインでと聞いていたのにシャンパンが入手出来たそうで乾杯をしたら、誕生日をシャンパンで乾杯するなんて最高。嬉しい」と涙を流して喜んでくれた。

その彼女の病状が深刻になっている。友人の胸中もいかばかりかと推察するが、妻が先だったことを伝えると悲しんでくれた。

夫妻には悲しい出来事もあった。立派な体格で小学生の頃から大学に勧誘されていた孫がおり、素晴らしいラグビーのかⓇつ薬が期待されていたが、ダイセンでの合宿で熱中症に倒れ、岡山駅から乗り換えた「と特急やくも」も倒木事故から遅れてしまい、臨終に間に合わなかった出来事だった。その孫さん絵の才能も優れ、何度も賞を受賞していたが、テレビのタモリの番組で大きな小学背来てくれるかなあ」でテレビ局に行き、「君は本当に小学生?」と驚かれたこともあった。
駅の改札を通る時に何度も「中学生では?」と止められたこともあるそうで、ずっと語り草になっていたが、彼女が亡くなったら通夜か葬儀に行かなければと考えている。

前述のシャンパンの件だが、フロントで支払う際にワイン料金も記載していたので帰宅してから妻が電話を入れ返金分を書留で送ってきたこともあったが、その後に3階そのホテルを利用したが、且座愛の言葉もなく、情報の共有がされていないことを知った。

「宮崎旅館」のバスで長崎駅へ行き、昼食を食べてから路線バスで嬉野温泉へ行ったが、岡美緒さんのおすすめ料理で「すきやき」にしたが、換気扇がなくて部屋の中が大変だった思い出もあり、武雄温泉在住の友人と食事をした時に「嬉野温泉はどちらの旅館を?」と聞かれたので伝えったら私の所属しているお寺の檀家さんで何度も行ってますと言われてびっくりした。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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