2023-09-13

転倒ばかり  NO- 10020

大宰府天満宮 心字池早目に起きて寺田町駅に行き、「はるか」の自由席と「さくら」の指定席券を購入。乗車券は往復購入して「さくら」の指定券は久留米までとしておいた。

天王寺駅からはるかに乗ろうとエレベーターの所へ行こうと9番ホームを歩いていたら、キャリーバッグのボタンを掛け忘れ、下り坂の所で転がり始め、追いかけて行ったら見事に転倒してしまい、ポケットの中身が全部飛び出してしまった。

びっくりされた若い男性が「大丈夫ですか?」と助けてくれて起き上がったが、世の中には親切な人がいるもので、転倒する度にそれを実感する。

「はるか」は「キティーちゃん」のラッピング車両で、かわいい絵が描かれていた。

久留米からは鹿児島本線の普通列車を考えていて、約30分待ち合わせたが、3番線ホームにいる時、1番線に「ななつ星」が入線し、約10分停車していた。

4番線に別府行の「特急ゆふ」が入線し、出発して行ったが、オウム真理教が熊本に存在していた時に阿蘇でゴルフをして日帰りでこの特急列車に乗車したことがあり、懐かしかった。

普通列車で大牟田駅まで行き、タクシーで友人の会社に立ち寄ったが、ゴルフ焼けした姿にびっくり。また肥えていたので驚いた。

膵炎仲間なのにかれはビールを飲んでも大丈夫みたいでうらやましい限り。知人の医者と酒を飲んでいて次のお日の朝に膵炎で救急搬送され。ホテルで計画されていた先代の3回忌法要がどうなるかが心配で病院に行ったが、激痛で喋ることも出来ず、アイコンでやり取りをして決行と言うことになったが、施主を奥さんに変更して行ったことは忘れられない。

その病院に私も救急搬送されて入院したことがあった。前日から鼻出血があって次の日の朝に止まらなくなり、ホテルから救急車で市民病院へ運ばれたが、それが土曜日で、担当医が月曜日しか来ないそうで、二日間大変な思いで過ごしていた。

入院した日の深夜に友人の会社の担当syがご遺体の搬送に来たそうだが、私の部屋も見に来てくれたそうだが、よく寝ていたので言葉を掛けなかったそうだ。

友人の会社に立ち寄ったら、光岡の霊柩車が停まっており、もう一台あると教えてくれた。光岡自動車はユニークな車を販売しているが、霊柩車の人気も高いそうで、かなりその姿を目にしている。

ご仏縁の会ったお寺さんが光岡の車に乗っておられたことを憶えているが、近所の花屋さんのご主人がものすごいスポーツカーに乗っておられたこともあった。

帰路は西鉄で帰ることにして、大牟田駅まで奥さんの車で送っていただいた。ぶっ飛ばす特急は嫌いだが、何とか早く帰らなければならず、仕方なく特急に乗車した。

社葬で目立って多いのが「民家の屋根に太陽光発電のパネルが多いこと。すべての屋根を覆ている家も少なくなく、流行しているのだろうかと思いながら天神駅に戻った。

ここからエレベーターを探すのが大変で、何人もの人に聞いてやっとたどり着いて地下鉄空港線に乗って博多駅に戻った。大混雑のみどりの窓口で「さくら」の指定席「遥かの自由席乗り継ぎ特急券を買い、8℃の席に座っていたら、広島駅から乗ってきた外国人の団体の一人が私の席とブッキングしているkみたいで、互いの切符を確認し合うと私の席は「18の℃」で、「1」の部分が赤くなっていたので見えなかった思い込みみたいで、その外国人は私の杖の姿を確認されると、そこに座っていていいからという仕草で優しく接してくれた。

こんな状態で落ち着くことは難しく、18の℃の席へ移動したが、隣席の若い男性がパソコンを開けて細かい英文の文字を読んでいたのでびっくり。

「はるか」に乗り継がなければならないので早目に扉の所へ行って待っていたが、キャリーバッグを手にすることが難しいので後ろにおられて型にお願いして新大阪駅でホームに卸して貰った。

エレベーターで3番線に行ったが「はるか」が遅れているみたいで随分と待った。途中で疲れて立てなくなり、キャリーバッグの上に座ろうとしたら転倒してしまい起き上がれず、驚かれた背の高い外国人が助け起こしてくれた。「はるか」が入線してもこのままでは危ないと考え、二人連れの若い女性にキャリーバッグを5号車に乗せて欲しいとお願いしたら、席まで運んでくださったので感謝した。

体力低下が著しい。もっとリハビリに励まなければならないようで、また先生に報告しなければならず次回にお伝えしようと考えている。
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