2019-03-09

10年前を思い出す  NO 8447

我が家の猫妻と一緒に行った和風食堂、先客に久し振りの人物が。93才になっておられたが頗るお元気。先代さんが103才まで存命され、表彰を受けたこともあって「私も頑張る」と笑っておられた。

数年前に脳梗塞を発症されたが、すぐに脳外科病院で対処して貰ったので後遺症がなかってよかったと言われていたが、食事中に突然右手が動かなくなったそうで、日中だったことが幸運
とも言えるだろう。

私が10年前に発症したのは就寝中で、午前2時に布団に入って眠ったが、午前4時頃に気分が悪くて目が覚め、布団の下に敷いていた電気カーペットを左手で触ったら、全く温度を感じないのでおかしいと思い、右手で確認しようとしたら右手のコントロールが出来ず、これはおかしいと妻を呼んで救急車を要請した。

それはまだ真っ暗な時間帯で、発症してからの時間経過が分からなかったが、自宅近くの疎開道路で救急車の車内で病院探しで30分を費やし、やっと受け入れ先の病院まで30分を要したので最悪。到着して様々な検査を受けたが、脳幹損傷、延髄損傷、右半身不随、左半身知覚麻痺、嚥下生涯から誤嚥性肺炎を発症、声帯損傷、顔面麻痺、呂律回らずという状態で、その後に知ったことだが、血栓部分が5ミリズレていたら死亡していたと教えられた。

この大病には最悪のプロセスがあった。その2年前に腹部動脈瘤が発覚、一年後に大手術を受けたのだが、手術の前日に執刀医が来室、模型と図面を出して説明して貰ったが、人工血管に入れ替える間は動脈を止めなければならず、その際に血管の内部に付着しているものが流れ出す危険性があり、心臓の周囲の血管が詰まれば心筋梗塞、頭部の血管が詰まれば脳梗塞と言われて気を付けていたが、退院してから1年も経たない内の一月初めから次々に体調異変を感じ始めた。

手足が痺れる感じもあり、右の踵が固まった様に感じる兆候もあち、先頭の湿式サウナの中で友人と会った際に、右足の脹脛の部分に冷たい風を感じ、それを友人に伝えると「何をおかしなことを」と笑われてこともあった。

その後、先頭の湯船に入ると左半身が水風呂みたいに感じたのでおかしいと思い、次の日に医院で伝えたら「3月にMRIを撮って調べましょう」と言われた。

それから数日後のこと、テレビのニュース番組を観ていたら画面がシネマスコープの様に横長に見え、次の日に医院へ行って伝えたら「眼科で視野を調べて貰ってください」と進み、眼科で症状を伝えて視野検査を受けたら、完全にマウスで押さえたと思っていたら、結果は下部が全滅していたことが判明し、「年齢から来る一時的なものでしょう」と言われた。

その数日後、本社の式場で女性司会者と一緒にナレーションを担当していたら、2秒間ほど呂律が回らない現象があり、女性司会者から「すぐに病院へ行かれた方が」と進められたが。すぐに元に戻るので行動しなかったら、その数日後に最悪の発症となった。

様々な異変を生じたのは「一過性脳梗塞」で、その時に血液をサラサラにする薬を服用していれば問題なかったことを知った。

あれから10年を迎えたが、目が不自由になっても杖を手に何とか歩くことが出来る。友人達との再会や温泉旅行で冷えを感じる足を温めるのが晩年の喜びだが、薬を服用して再発をしないように心掛けている。

声帯を損傷してしまったので美声?は出なくなったが、指先のタッチが難しくなったのでギターやピアノも出来なくなった。また競技に出場していたゴルフも出来なくなり、数年前に発病した「膵炎」からアルコールも飲めなくなった。

昔からビールなら小瓶、日本酒なら1合でも余る程度だったので筋腫は然程苦痛ではないが、コップ一杯のビールの味は憶えており、友人達との会食で目にする光景は羨ましくなる。

さて、自宅のポストの中に猫の写真があって「探してください。情報をお願いします」と書かれていた。近所の飼い猫が行方不明になった出来事だが、我が家にも20年近い飼い猫がいるので気に掛かる。

今日の写真は我が家の猫を。
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