2008-08-31

豪雨の思い出  NO 2261


 過去に何度か「マンネリの中で生じたミスは解決が難しい」と書いたが、仕事ではない「作業」のレベルで時間を過ごす中、そこに大きな落とし穴があることを知っておきたいものである。

 我が業界にあっては「故人」「ご遺族」「ご遺体」なんて言葉を無神経に使用しているが、されている家族側にとっては衝撃的な言葉として受け取られることもあり、そんな配慮と心遣いが重要な筈だ。

 病院で看取られていたご家族から葬儀の依頼が入る。「父が亡くなりました」「母が亡くなりました」或いは「祖父が」「祖母が」という電話から行動が始まるのだが、病院へ向かう寝台自動車担当スタッフは「ご遺体は?」という言葉を避けるべきと考えたい。

  最期の瞬間を医師と共に看取られてからまだ時間の経過が少ないのに、依頼があってい時間ほどで「お迎えに参りました」と病院の玄関で待ち合わせご家族と挨 拶を交わし「ご遺体は、どちらに?」「そこからどちらへ?」との無神経な言葉遣いは厳禁。依頼電話の中で知り得た「故人情報」から「お母様は、どちらのお 部屋に?」と確認するべきだろう。

 時には病室というケースもあるし、また霊安室ということもあるが、つい先ほどまで病院側から患者様と呼ばれていた方が「故人」や「ご遺体」と呼称される背景には想像以上の問題が秘められていると学びたいものだ。

 こんな問題だが、言葉のプロである筈の若いアナウンサー達がミス発言をすることも少なくなく、大事故や大災害の速報の中で、まだ被害者達の安否の確認がされていない段階なのに「遺族の方々が現地に向かっているそうです」とは信じられないレベルのミスとなる。

「ご家族の方々が現地に向かわれています」ならば問題はないが、家族に悲しみや衝撃の強い非日常的な事件では、上述のミスが局アナまでもがついうっかりと滑らせてしまうのである。

 あちこちでの豪雨の被害が伝えられてくるが、本当に大雨とは恐ろしいもの。私が思い出すのは1991年7月1日の九州方面の豪雨である。

  前日から阿蘇高原ホテルに宿泊していたのだが、深夜から強くなりだした雨が未明から体験したことのないような豪雨となり、危険性を感じて早い時間に朝食を 済ませ、2台の車で国道57号線を熊本市内に向かって脱出したのだが、杉並木で名高い大津市までの間にすれ違う車は赤色等を回した消防車とパトカー、それ に「救援」という大きな旗を荷台に取り付けた自衛隊の車両ばかりであった。

 大津市内は豊肥線の線路に沿って冠水、友人のセンチュリーを私が運転、左足でブレーキを軽く踏みながらギヤを落として右足でアクセルを強めに踏んで走行。お陰で途中でエンストすることなく脱出できたが、九州自動車道が通行止めになっていて大変な目に遭った一日だった。

 その豪雨の余波だが、豊肥本線の山岳部で大規模な土砂崩れが発生、復旧に1年以上も費やす被害が出ていた。

  また一方で、十数年前に奈良県の奈良国際ゴルフ倶楽部でプレーした際の大雨も大変だった。朝のスタートからしばらくしてから降り出した雨が強烈な豪雨、傘 を差しながらずぶ濡れになってクラブハウスに戻り、着替えようとロッカーに行くと、隣のロッカーの人が「ひどかったですねえ、フロントにシャワーだけでも とお願いしてきましたから」と教えてくれ、数人で浴室で着替えた思い出なのだが、その人物は、佐川満男さんのヒット曲「今は幸せかい」を作詞作曲された中 村泰士さんで、紳士的な仕種と言葉遣いが印象に残っている。
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