2005-11-30

司会の勉強  NO 1349


 塾生達のウグイスのような美声を拝聴、結びの時間はそれぞれの創作ナレーションを心地好く聴かせてもらった。

 それぞれの地で式次第の「しきたり」が異なるのは当たり前、しかし、それがご遺族や参列者にとって「どのようにあるべきか?」というテーマも課題、矛盾や問題を感じるなら宗教者の方々と話し合って共に考える時代となっているだろう。

 新大阪駅で待ち合わせたそうだが、長野県より九州からの方が所要時間が短い事実。名古屋発長野行きの特急「信濃」の最終が19時と聞き、午後5時過ぎに終了した。

 自作の原稿は誰もがうまく喋っている。得意なこと苦手なことについては本人が一番理解して創作するから。こつこつと基本練習をしていた成果を感じる点数となっていた。

 ちょっと嫌がらせバージョンにも挑戦させた。やさしいイメージの曲をバックに強調型ナレーションの語り方、原稿そのものが難しくて音楽を意識すると怪しくなってしまう仕掛け、<まあまあ>というレベルで合格点の入り口に立てたよう。

  流暢に喋ることは誰でも練習すれば出来るもの。しかし、どれだけ「伝達」出来るかが大切なこと。その人独特の「節」を感じさせずにさわやかに聞かせ、相手 の心の扉を開かせることが出来ればプロの域。それに伴いマイクで喋っているという本人の「意識」が薄らいで来る。ちょっと厳しい指摘もしたが、間違いなく 育ってきていたので喜ばしい。

 数日前、北海道のメンバーが担当した「偲ぶ会」のDVDを拝見し、司会を担当していた人物に感想メールを送信していた。

 彼は、昨年「隠れ家」で4時間ほど個人レッスンをした経緯があった。確かに成長の兆しが感じられたが、どうもそこで停留してしまいそうな気がしてならず、僭越ながら<このままでは!>の老婆心で刺激的な指摘をさせてもらった。

 今日、その彼から返信があった。北国の天候は大荒れの模様<心の中に嵐が起きていないかな?>と思いながら拝見、彼らしい緊張感の伝わる文章が綴られてあった。

ちょっとしたヒントで急変するのが司会の技術、自身が意識するかしないで大きく結果が変わるもの。結果として、間違いなく進化のステップアップを踏み出してくれたようで楽しみに。

 司会者の指導で重視したいのは、その人の個性を大切に活かし、その人だけの「味」を人柄として輝かせること。うまく喋ることを目的とする司会セミナーは山ほどあるが、喋りの基本の前に葬儀に携わる「人」と「命」の「重み」を理解させることが不可欠。

それさえ出来れば「真摯」「謙虚」「礼節」という原則を心にした伝達力の強いトークが可能になり、結果として「慰め」と「やさしさ」が生まれてくるものだが、この本義が分からず技術に走る勘違いが多いよう。

 式場によっては前方、後方と司会台の位置が変わるが、後方の場合に参列者の後ろ姿を目にしながら表情が伝わるようになれば一人前、その両方を体験することも重要なこと。

前方より後方の方が<やり易い>と思っていたら大変な誤解、表情が見えないということの怖さを忘れると一方通行型の進行を感じられてしまうから。

 明日は、出張。もう12月、コートの大嫌いな私にとって嫌な冬の季節の到来。参列者の皆さんの震える姿が目に浮かぶ。どうぞ、お風邪を召さないように健康対策を。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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