2024-02-15

歩き過ぎたみたい  NО 10101

商店街を歩いていると、犬を散歩中の知人に会い、「奥さんの様子はどう?」と聞かれ、亡くなったことを伝えると「お参りも出来なかって申し訳ない」と謝罪された。

長い間交流のあった人物で、いつも丁寧に挨拶朝圧をされるので恐縮していたが、かつて奥さんが飲食店に勤められており、その時に彼女の所作と笑顔の素晴らしさに感銘を受け、数日後にご自宅に押し掛けてご主人に「奥様を弊社で接待担当のチーフになっていただきたいとお願いしたが、当時はご主人のお母様の介護もあり、無理と分かって諦めた思い出がある。

彼女に対する思いを私と同じように感じていた人物がいた。それは割烹をやっている友人で、飲食店に行っていた時に感じていたそうで、懐かしく話し合ったこともあった。

私の人生で同じような思いを抱いて行動したら叱られたことがあった。それは旅行会社が主催し研修会で和歌山県のホテルや旅館の経営者や女将さん対象の講演で妻を伴っていくことも了解を得て、会場となった白浜の白良荘での出来事だった。

講演が終わって入浴後にレストランで総支配人と3人で食事をしたが、和服姿の女性の所作が素晴らしく「あなた、私の会社に来ませんか?」と声を掛けたら総支配人が「当ホテルのナンバーワンなのですから困ります」と言われてしまった。

この時に言ってしまったことで後悔したことがあった。それはあちこちの旅館やホテルに行っているが「どんな炊き込みご飯より日本人は炊き立てのご飯に勝るものはない」と言ってしまったことで、総支配人と彼女が相談してやがてテーブルの上に「釜」を準備され、炊き立てのご飯を食べさせていただいた。

この時に大浴場に入った際、受講された方々が多くおられ、講演の続きみたいになってしまい、上せてしまった思い出も忘れられない。

咲夜、テレビを観ていたら伊丹十三さんの「お葬式」の企画が流れていた。氏が奥さんのお父さんの葬儀で感じられたテーマを映画にされたもので、火葬場年突の煙を見て、横におられた奥さんに「映画が舞い降りて来た」と言われて企画が始まったと言うものだった。

この映画が公開されて間もなく、「北御堂さん」から電話があり、「映画お葬式の感想について対談を企画されているそうで、予定日までに映画を観ておいてください」と言われたので難波の高島屋の前にある南街劇場に観に行った。

大阪の御堂筋には津村別院南御堂さんと来た御堂さんの二つが存在しており、前者は信州大谷派、後者は浄土真宗本願寺派の大阪別院となっていた。

やがて判明した対談メンバーを知ってびっくりした。司会や映画評論家として顕著な「浜村淳さん」「ご主人である人生幸朗師匠を亡くされた郁恵幸子さん」達で、企画されたのは漱石のある知られる放送プロデューサーの本多さんだった。

対談の収録は北御堂さんが発行されている月刊誌「御堂さん」に掲載されるそうで、多くのお寺さん達が読まれるので緊張することになった。

この対談の中で浜村淳さんの発言で印象に残っていることがある。「久世さん、この映画は有吉佐和子さんの恍惚の人に続く二本目となるかもしれませんよ」恍惚の人の映画を公開された後テレビでの放送を何度もオファーされてもかたくなに拒否された歴史があり、有吉さんは社会的の重要なテーマなので、家で寝転んで観たりして欲しくないというお考えだったそうで、「お葬式」もそうなるかもしれませんということだったが、それはすぐにテレビで放送されてしまったので残念だった。

映画の実際の葬儀の場所は富士山の見える御殿場だったと記憶しているが、私はこのお葬式が大阪で行われていたら映画にはならなかったのでは、と申し上げた。

ご遺族がタイへンなご苦労をされた体験でシナリオが構築されたが、大阪ならそのご苦労の大半が業者側で解消可能だからで、そんな発言をしたことも憶えている。

伊丹十三さんは「お葬式」の映画で得られた所得の65パーセントを納税することになり、その時に言抱かれた思いから「マルサの女」の映画につながったと紹介されていた。

昨日はヘルパーさんが来宅されていいたが夕方になる前に自信を感じてびっくりした。公と南部から大阪帆億分で震度4から3を観測していたみたいだが、自宅では震度お1だったらしい。

桜島が久し振りに噴火をしたニュースもあったし、大分県の鶴見岳も火山性地震が観測されたニュースがあった。別府から城島高原に上がって行く途中に近鉄が経営している鶴見岳ロープウェイがあり、何度か利用したことがあるが、頂上が猛吹雪ですぐに引き返したことも憶えている。
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