2023-07-25

文化ホール  NО 9989

宇佐駅ゴルフの全英オープンをやっている。前号で触れた友人が私のゴルフの師匠で、何十回とラウンドしたことがあるし、私がハンデキャップ「7」になれたのも彼のおかげだと思っている。

彼が大阪で店をやっていた当時、深夜と早朝の中継は欠かさず観て、モーニングの客にその状況を教えてくれていたので楽しみだった。彼とは友人たちと阿蘇高原ホテルへ行ったこともあり27ホールのうちの18ホールをビデオ収録して貰う企画に参加し、その映像は私の人生の中のゴルフの思い出として残っており、何よりの記念になっている。

私はお笑い芸人が嫌いで、その最たる存在がダウンタウンで、チャンネルを瞬時に変えることにしている。特に嫌いなのは浜田君でそれを強く感じたのが「全英オープン」のライブ番組だった。

楽しみにしてテレビを観たら彼がスタジオのゲストの中に座っており」、誰がこんなキャスティングを?>と思ったが、ライブが始まるとラウンドリポーター青木功プロに向かってため口で質問をしてスタジオの他のゲスト達が「信じられない!」という表情を見せられていたが、当事者である青木プロお怒りになったようなニュアンスを彼の言葉から感じられた。

それは前述の友人も同意見で、「なぜ彼をゲストに?」と話題になった。その中継後からテレビ局のクレーム電話が鳴り続いたそうだが、次の日は降ろされているだろうと思ってチャンネルを合わせたら後列に下がってまだ座っていたので信じられなかった。

それからあまり経たない内に何かの週刊誌の記事でその出来事に触れており、局と吉本興業のバーター取引ではとなっていたので妙に納得した。

最近マツコ・デラックスやイッコウさんなどが目立って登場されるが、私のような観たくないと考える人も少なくないと思いながら、変なテレビ局の姿勢に嘆きたくなるこの頃だ。
地方から大規模な社葬合同葬のプロヂュースと司会の依頼があったが、現在の私の体調では無理で、お断りを申し上げながら、役員さん達が参列されて感動したと仰る社葬の収録映像とCD「慈曲」を至急便で送付し、著作権もフリーで結構ですと書き添えていたら、電話があって。「どうにかならないだろうか?」と言われた。

司会は地元の放送局のアナウンサーに任せる予定で映像を見せたら、「私には絶対に不可能な世界です」と逃げられたそうで、その社葬を受けている同業社からも「何とかならないですか?」と懇願された。

大病を患ってから声質と声量か変わり、もう二時間の式なんて難しいし、何度か打ち合わせに参上してシナリオ創りをする必要もあり、その旨を伝えて「申し訳ございません」と申し上げた。
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ご縁で私に指名が罹ったのは、過去に担当した会社の社葬で「どこに依頼されたか?」という調査から始まったそうで、その時に参列された役員さん達の意見が一致したそうであった。

名誉で嬉しいご仏縁だが、司会台に二時間もたっていることは不可能で、これからリハビリを続けても解決出来る問題ではなかった。

久し振りにその社葬の映像を観たが、CD「磁曲」の作曲を依頼した高橋三鈴さんの姿もあり、亡くなってしまわれた彼女の素晴らしい音楽感性もったいなくて涙が出た。

弔辞のBGMを任せたら、選曲が決まればレクイエム調子に編曲され、弔辞の長さに合わせてアドリブ作曲でつなぎ。エンディングでぴったりと着席されるのだから芸術的才能だった。

北海道から九州まで全国各地で彼女と仕事をしたが、過去にチャリティーコンサートの編曲をお願いし、アマデウスと若大将という編曲は見事で、観客の大きな拍手を受けていたことも懐かしい。

彼女が亡くなられた事を知ったのは北海道の人からの電話で、彼女のご遺族が彼女の部屋を片づけに行かれた際、年賀状を見つけられ、ご本人が亡くなられていたことを知らされたことからだった。


もしも私が大病を患っておらず、彼女もご存命だったらまたご一緒に仕事を出来ただろうが寂しくて残念でならない思いで。改めて彼女のお姿を思い浮かべながら手を合わす。

上述の社葬で印象に残っているのが、葬儀委員長や喪主さんや親戚代表と役員代表を伴って寺院控室に挨拶に行く時間で、式場に残られるご親戚yさ社員の皆様へ大分県にゆかり府会偉大な作曲家「滝廉太郎さん」の名曲「荒城の月」をレクイエム調に編曲して献奏曲として演奏して貰ったもので、ハープバージョンの音色が今でも焼き付いて思い出される。
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