2024-01-19

もう29年  NО 10084

NО 10084
前号で触れた「特急さんだーバード号」だが、金沢駅到着時に車両とホームの段差が大きく、目の不自由な私は転倒しそうになって歌舞伎の六法を踏むような状態になった。

金沢駅は危険だと書いておこう。さて、朔日は力餅食堂へ持ち帰りのそばを買いに行ったが、若い女性スタッフの前に女将さんが登場され、「この子のお爺ちゃんが亡くなられてシーンさんでお通夜と葬儀をお願いていますのでよろしくお願いします」と言われた。お爺ちゃんは96歳だったそうだが、心の中で手を合わせ「問題なく運びますように」と祈っておいた。

阪神淡路大震災から29年目を迎えたが、私は震災後の一週間後に名古屋へ講演に行った際、名古屋駅から利用したタクシーの運転手さんの話が忘れられず、人の世の運命についてずっと考えさせられている。

神戸からやって来た新婦さんがご両親から「私たちはあすに名古屋に向かうから。あなたは今日行きなさい」と言われて神戸を出発したが、次の日の早朝に発生した大きな地震で家屋倒壊に巻き込まれてご両親が亡くなると言う不幸に遭遇されたそうで、神父さんがタクシーの中で泣き崩れていたそうだ。

追悼式が行われた会場で暗くなった頃、一台の黒塗りの車がやって来られ、後部座席から降りられた人物が我々の方に向かって一礼をされて立ち去られた光景を憶えているが、その人物が野中弘務氏だったことを記憶している。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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