2023-10-07

懐かしい思い出  NО 10040

昼神温泉 伊那華歩けるようになるために今日もリハビリに行った。終わってから頃なワクチン接種のために猫間川筋にあるクリニックへ行ったが、いつもの医院の先生がネットで予約しくれたは筈予約がされておらず、改めて帰宅から予約することになった。

帰宅して調べると健康保険証がない。どうやらクリニックから勝山通の間の100メートルで落としたみたいで、明日に生野署へ届けに行くことに
した。

埋め西日が眩しくて閉口した。

電話予約で23日の午後で抑えられたが、また行かなければならないので面倒だし、流行しているみたいなので少しでも早く受けたいものだ。

さて、40年ほど前のこと。妻が一冊の本を買って来て熱心に読み始め、数日後にはその著者と電話で連絡を始め、数日後には新幹線で東京に行き、上越新幹線に乗り換えて高崎まで行った。
最近はテレビのCMで観るようになった「インプラント」の治療で、知られる歯科医院に勤務していたこともあり、知識はあったみたいで自由に行動させたが、初めて高崎に行った際に次の日に高崎まで迎えに来てと言うことになり、前日入りしてホテルに宿泊して高崎駅で待ち合わせをした。

何処か温泉に行こうとなって高崎駅からタクシーで行ったのが「舌きり雀」で知られる「磯部温泉で、シーズンオフだったので館内は閑散としている旅館だった。

廊下の蛍光灯も半分掛けされており、大浴場のp六点風呂も暗かったので薄気味悪くすぐに出てきたが、次の日の朝食時に我々の他にも王一組だけの宿泊客を確認しただけで、貸切みたいな状況だったが、その地の名物だと言う「湯豆腐料理」は美味しかった。

タクシーで安中榛名駅に向かい、長野新幹線で長野へ行き、そこから大阪行きの「特急 信濃」を利用する予定で行動したが、安中榛名駅は閑散とした環境で、切符を購入してはssyまで時間があったのでロビーで過ごすことにしたが、ロビーにゴルフのパターの設備があってびっくりした。

長野か名古屋を経て大阪まで5時間半の列車旅だったが、妻はずっと寝たままで帰って来たが、さすがにお疲れモードになってしまった。

その後に週一程度で高崎まで通っていたが、2回目からは車で行くことにして目審、東名、中央道を経て更埴ジャンクションから軽井沢を経て高崎まで行っていた。

車の運転に抵抗感はなかったので何度も通ったが、ある時に恵那トンネル手前のサービスエリアでコーヒーを飲み車に戻ってメータ類の中にあった外気温を確認すると「氷点下8度で雪が降ったら最悪だと思いしそいで出発、長い恵那トンネルに入ったら、外気尾音がトンネル中央部で16度になり、そこから気温が下がって出口付近で「マイナス8度」になって緊張した。

またある時に帰路の軽井沢付近で濃霧に包まれボンネットのエンブレムも見えないほどで危険と感じて次のインターで降り、積んでいた時刻表で温泉を探したら別所温泉があり20分ほど走って旅館に行った。

夕食を食べて仲居さんが寝具の準備に来てくれた歳、私は当時に始めた「独り言」を打ち込んでいると「ここまでこられてお仕事ですか?」と聞かれて事情を話したら驚かれ、旅館のHPの中に掲示板が存在すること知り、「本日お世話になっています」と書き込んだら、次の日の朝食時に女将さんが来室され「書き込み有り難うございました」とお礼を言われた。

また、ある時は飯田付近で疲れてしまい、昼神温泉の旅館に宿泊したこともあるが、そこは落合監督の定宿で、廊下にはドラゴンズの修吾写真がいっぱい掲示されていた。

この旅館の大浴場でピンクリボンの意味を初めて知ったこともあり印象に残っているが、その運動が全国的に広まったのはそれから間もなくのことだった。
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