2023-09-28

昔の花  NО 10033

湯の児温泉一昨日、友人の割烹で「湯豆腐の鍋が沸騰している時、ふと地震が発生いたと思い、ガスコンロのガスを止めた。

食べ終わって帰宅してからテレビを観ていたら、テロップが流れて大阪府北部を震源とする地震が発生した。数年前に発生した同じ地域だが、その時はブロック塀が倒れ、通学中の小学生が犠牲になると言う悲劇があり、全国的にブロック塀の見直しが話題になっていたが、今回の犠牲はなかったみたいだが、倒れたブロック塀があったので怖ろしい。

長年葬儀の仕事に従事し、年中無休野4時間営業で過ごして来たが、我々夫婦は仕事が終わってから温泉へ出掛けたことも多かった。

ある日の午前中のご出棺をお見送りしてから自宅に戻り、加賀温泉にでも行こうかと話し掛け大阪駅から特急雷鳥に乗るつもりで大阪駅まで行ったら、妻が北陸は止めよう、梅田のどこかのホテルでマッサージを受けてゆっくり寝たいと言うので、当時にメンバーとなっていたウェスティンホテルに行き、ジュニアスイートの部屋に宿泊することにした。

総支配人が淡路のウェスティンの総支配人時代からのゴルフ仲間で、そのメンバーを勧められたのだが、年間20回の宿泊が半額で利用できる特典があり、ホテル内のすべてのレストランで3人以上の利用でメンバー分が無料となるとい信じられない特典もあり、よく利用したものだし、地方から来阪した友人達に宿泊券を渡したことも少なくなかった。

そんなところから午後から出掛けることが多く、いつも車に時刻表を積んでいた。ある日、どこかへ出掛けようと出発したが吹田のサービスエリアで食事をしたら、「近くに何処か内の?」と言われ、高槻インターで降り、亀岡へ抜ける道路を抜けて亀岡の温泉に行き、有名なプロゴルファーが経営に携わっていた旅館に宿泊した。

玄関まで行くとスタッフがおられ、ドアを開けてくれて「私の方で駐車場へ回しますから」と言われてフロントの横でウェルカムティーを出されていたら、その人物がやって来られ、「サイドブレーキの解除はどうしたら?」と聞かれた。

ベンツなら介助のレバーがあるが、その時に乗っていたのはキャデラックで、解除ボタンは中、ちぇんじればーを「Ð」に入れたら自動で解除される市捨て網であること教えたら「ありがとございます」と出て行かれたが
、しばらくするとまた戻って来られ、「あんな大きな車は運転したことがないのでお客さまご自身で」となって駐車場へ回すことになった。長さ5,7めとるのロングボディだったし、センチュリーから乗り換えた際、その大きさに衝撃を受けた体験があるので理解できたが、とにかくでかい車だった。

部屋に通され立派な欄間に驚いたが、その解説書があったので読んだら「鷺」をテーマにされていたみたいだが、文字が「鷲」になっていて仲居さんに指摘したら、その後の夕食時に女将さんが来室されて「気が付きませんでした」と言われて感謝された。

水俣病納沙布岬イバンの原告勝訴のニュースがあったが、ふと思い出したのが妻の実家に立ち寄った際に幼稚園に通っていた2人の子供を連れて水俣の「湯の児温泉」に行ったことを思い出した。

木造の古い2階建ての和風旅
館だったが、子供用の浴衣が用意されていて子供達が初めて浴衣を着て喜んでいたのを憶えている。

その旅館にはもう一度行くことがあったが初めて行ったのは私が20代の頃だった。

「湯の児温泉」にはその後も行ったことがあったが、その旅館はなくなっていたので寂しかった。
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