2022-04-01

60年前のこと  ǸО 8860

予土線で撮影したホビー列車60年前の今日、高校1年生から2年生になる春休みだった私は、兵庫県の景勝地「仁川」へ友人達と出掛け、歩いていた時に滑って着いた右腕の上に倒れてしまい、瞬間に視界が黄色く見えて暗くなって気分が悪くなった。

転倒した原因は革靴の底にあった一部の金属で、それがコンクリートの上で滑ったというものだった。

採れた前に内科があり、日曜日で休診されていたが、友人が扉を叩いたら出て来てくれて診察室へ入れてくださった。

その時に右腕の手首を確認したら「く」の字型に曲がっており、骨折したことがはっきりした。

「失神するような状態にあるので鎮痛剤を注射する」と言われて太い注射器で首の辺りに注射をされたが、しばらくすると激痛が治まった。歯科医が暗くなったのは骨折によって手首の血管が流れなくなったからみたいで、それから普通に見えるようになった。

自宅に電話を入れたら姉が出て「骨折をした」と伝えても信じてくれず、4月1日という問題が原因だった。

医院で受けた応急処置で白布の三角巾で首から腕を吊って帰宅したが、その姿を目にした姉は「そこまでやるの?」と信じてくれなかったが、同行してくれた友人が話してくれたお陰で信じてくれ、すぐに整骨院へ行くように言われた。

国道25号線の寺田町駅の近くに「大学堂」という整骨院があり、そこへ行ったら先生が患部を診てすぐに「完全に骨折している」と診断され、もう一人の男の先生と二人係で骨折部分を引っ張り、椹木を当ててぐるぐる巻きにされた。

「全治2か月」と言われたが、当時に卓球をやっていたことから最悪で、3カ月間どうしようもなかった。

週に一回整骨院へ行ったが、添え木の訪台を変えるだけの治療で、終わる頃に青い電波の出る機械で照射された。

利き腕が骨折したらどれほど不便になるかを体験したが、普通であることがどれ程優れているかをしっかりと知らされた出来事でもあった。

文字を書くことも不便で最悪だったが、ノートに大きな文字で書いたことを憶えている。

そんな骨折は私の青春時代の忘れられない思い出として刻み込まれている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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