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2004-06-10

取材時の時間   NO 816

日本トータライフ協会のメンバーや、弊社のスタッフ達が訪問している人気ページ「空飛ぶ水冠」だが、昨日発信されたコラム「迷いの窓」第30号「永遠の命題」とタイトルされた文章に、彼女らしい視点だと思う鋭い問題提起を感じることになった。

 話題の養老孟司先生の「死の壁」から始まり、長崎の小学校で起きた悲劇事件についても触れられていたが、それらは、いかにも葬送の仕事に携わっておられた貴重な体験に裏付けられた核心が伝わる内容だった。

 終章で次のように結ばれていたのが印象的。

  『これ以上、少年少女に思い十字架を背負わせてはいけない。「一切衆生のの中に悉く仏性があり、罪の中にはすでに慈悲がある」と仏法は説くが、十代の子供 たちによる衝撃の事件は、そのまま子供たちの悲鳴であり、余りにも大きな犠牲を払って、無知蒙昧な大人たちに「命とは?」という永遠の命題を突きつけてい るような気がしてならない』

 一方で、日本トータライフ協会のHPだが、明日に発信されるコラム「有為転変」第855号では、医療従事者と我々葬儀社に共通する問題が採り上げられていて興味深いところ。

 「空飛ぶ水冠」へは弊社HP内「久世栄三郎の世界」から。「有為転変」へはリンクのページからお開きください。

  さて、前から何度かアポのあった取材を受けた。葬儀に対する社会ニーズの変化がテーマだったが、ここに至ったプロセスに衝撃を受けられたようで、ちょっと 体感願った「命の伝達」という短いフレーズに涙を流され、「こんな世界になっていたとは」と、抱かれていた固定観念を確実に払拭されたみたいだった。

 質問の中に、上述の九州の事件があった。「葬儀社として、あんな葬儀を受注されたら?」と言われたので次のように説明申し上げた。

  「参上しても葬儀のことは触れません。時間を決めたり予算を決定するなんて酷なことです。だから主だった親戚の方々にお願いし、そっとしてあげる時間を大 切に考えましょうと提案するでしょう。遺族が死を受け入れられるということは永遠に不可能かも知れませんが、今、周囲の方々と葬儀社がするべきことは、共 に悲しむことと、この数日を静かに過ごせるようフォローすること。『仕方がない、葬儀を行わなければ』というお気持ちが発生するまで待ちましょうよ。た だ、ご遺体に変化が発生しないような処置だけご納得いただけるようご説得を」

 各関係者への通知は、上記の旨を明記。通夜、葬儀の日程が決定されたお知らせするとお願いし、それまではそっとしてあげてくださいという配慮が重要だと思っている。

 ただ、悲嘆の心情の中に発生すると言われている「思慕感」だけは考慮し、特に親しい友人の皆さんに共に悲しんでいただくことは大切にしたい。

 悲しみに接しているが、職業としてマンネリ化すると「仕事」が「作業」となってしまう危険性がある。

ご遺族にとっては未曾有の悲しみ、その対応を仕事とする我々は、そのことをいつも心に抱いておきたいものである。

 明日、兵庫県に出掛ける。神戸のホテルに宿泊することになるが、帰社したらしなければならないことが山ほどある。
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