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2005-04-26

冥福を祈りながら  NO 1138 


 弊社にも尼崎から通勤する社員がいるが、家族が事故のニュースを初めて知った際には衝撃が走っただろうと想像する。

 朝から喫茶店に立ち寄り日課となった新聞を読む。数紙を順に読んでいくと「!」という記事が目に留まった。それはスポーツ報知だったと記憶しているが、一人の女性の不思議な体験。テレビのワイドショーの格好の話題となりそうな内容だった。

 その女性、手前の停車駅である伊丹駅で老婆に手を取られて降ろされたそう。「この電車に乗ったらいけない」なんて言葉を叫んでいたと言う。

 そこで事故に遭遇する難を逃れたということで、その老婆を探していると報じられてあった。

 それが真実とすると不思議なこと。予言や宗教的なことが過ぎるが、一方で何らかのかたちで事故原因に係わっていたパーセンテージも無きにしも非ず。それにしてもミステリーな話であった。

 さて、今日は次々に特別なお客様をお迎えして打ち合わせ。すべての予定を終えてホッとしながら夕刊に目を通すとびっくりすることが。

 弊社とお取引関係にある会社の社長さんが事故の犠牲者として報じられている。すぐに総支配人に知らせて何かフォローをとアドバイスした。

 ご住居は兵庫県だが、ご家族のご心中を拝察すると余りあるものがある。こんな時に悲しみのプロとして役立ってくれることを願っている。

 多くの犠牲者の存在から、やがて合同慰霊祭が行われることになるだろうが、プロとしてアドバイスするならJRが主催するべきではないと断言する。

航空機事故などでも加害者側が主催するケースばかりだが、加害者側は付随経費の負担を行い、主催を犠牲者側が託する人達に委ねるべきで、加害者を施主とする形骸化した式典などを軽率に行うべきでないと考えたい。

 受注される葬祭業者もそんなことを一切考えないだろうし、立派な祭壇のことしか描かないのは当たり前。慰霊祭とは誰が何のために行うのかということを考えれば、これまでのすべての慰霊祭が主催者側主流であったことがおかしいと気付く筈である。

 慰霊祭とは祭られる側を主体に考えるべきもの。その本義の遂行にこそ故人や遺族が慰められることになる。

「これだけも経費を掛けたのだから」なんて主催者側の驕りさえ感じてしまう慰霊祭、それでは故人や遺族の怒りを倍化させることになってしまうし、そんな式典の中で「二度と起こしません」の誓いの言葉に重みはなく、馬鹿げた慰霊祭が行われないように祈っている。

  夜、自宅にブラジルの方から電話があった。昨年に日本に来られたことのある日系人だが「事故、大丈夫でしたか?」と言われて驚いた。NHKのニュースで知 られたそうだが、日本の鉄道から治安まで、何か安全神話が崩れ始めたような気もするし、勤勉実直と言われた日本人の心のリズムに変化が起きているのではと 思えてならないこの頃だ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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