2004-03-11

メールから   NO 728

ナレーターとして原稿創作をしていると、日本の文化である「五七調」が重要であることを体感する。これらは、耳にされる側の立場も同じで、違和感のない伝達が可能となれば「心の扉」を自然に開けてくださるもの。

 そんなことを思いながら、ふとカレンダーを見ると、「朝起きて だんな見送り また寝たろ」という大阪弁の川柳が目に入り、「今日は『白い巨塔』の放送日」と言って送り出してくれた妻の顔が浮かんできた。

 さて、今日は、今月に頂戴したメールからだが、「N〇 705」で紹介申し上げた司会者さんから。3月3日に「ご報告です」というタイトルで受信されていた。

  『昨日、久し振りに葬儀に伺って参りました。そして、「ご遺影」の前で今までになく長い時間、故人様と対話を試みてみました。私の切望からなのかも知れま せんが、「ご心配かけます。よろしくお願いします」と、感じたのです。1300件以上の葬儀に携わりながら、何故か心が静まり、<お役に立てることは何で もさせて頂く、いえ、させて頂きたいと心底思いました。故人さま、ご遺族さま、斎場、業者さま、全てが鮮明に感じられたのです。今日からスタートです。心 を素直に、そして謙虚な姿勢で「ご縁」を頂いた大切な時を過ごしていきたいと思っております。父の症状は、まだ安定はしておりませんが少しずつは回復 に・・・・・』

 結びに弊社に来られる可能性があるようなことも書かれておられたが、お父様の病状の安定が嬉しいことだし、マンネリの仕事の中で「新鮮な思い」を抱かれたことが素晴らしく「よかったね」と申し上げながら、隠れ家での初対面を楽しみにしている。

 一方で、3月2日に頂戴したメールだが、私が監修した司会者向け教則本「温故知新」に関するものだった。

  『A県の互助会葬儀社で勤務していますが、この度、久世様のページを拝見させて頂き、改めて司会の難しさを考えさせられ、是非「温故知新」を拝読出来れば と思いメールいたしました。トータライフ協会に加盟する会社で働いておりませんが、今一度、司会の原点に立ち返り、そして葬儀の意味を勉強したくなりまし た。毎日、葬儀にたずさわりながら自分が葬儀に対してここまで熱くなれるだろうかと ふと立ち止まり、久世様の独り言を読ませてもらい「販売して頂けるな ら・・」と願う次第です。よろしくお願い申し上げます』

 最近、「温故知新」に関するメールが増えた一方で、「司会の勉強で入社したいのですが、司会だけという募集もありますか?」という問い合わせが多い。

 司会の勉強ならアポさえいただければ歓迎するし、私の隠れ家に「ようこそ」となる訳だが、司会だけの社員というと問題がある。

 上述のメールをくださった司会者さんがお気付きになられたように、開式の1時間前に式場に入る司会者は単なる進行係。弊社は、そんな進行係は必要なく「司会者」を求めている。

 葬儀のご依頼を頂戴してから「どんな打ち合わせ」が進められるか? ご納棺の際、ご 遺族が「どんな悲しみの表情を見せられるのか?」 また、送られる方と送る方々には「どんなお心残りがあるのか?」

 そんな「?」が何十も存在し、その理解なくして葬儀の司会は成り立たない。すべてを「クリア」しなさいと言うのではない。本来そうあるべきだということを学び「謙虚」であれと言うことだ。

 葬儀の仕事は、究極の礼節。それらは宗教者が身に着けられる「正装」という装束ひとつにも顕著である。喪主を体験して一人前の葬儀社。孫を授かって初めて「命の伝達」という葬儀のありかたを学ぶ。それまでは「謙虚に」。それが私の司会の哲学である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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